アートスフィア灰塚 2000ひまわり舞台落成イベント
■□ ひまわり舞台オープニングセレモニー
【日 程】 2000年9月10日(日) 16:00〜
【場 所】 ひまわり舞台(吉舎町安田)
護岸公園「ひまわり舞台」をデザイン/設計をするにあたり、地域の人たちや子どもたちが、前もってこの場所(護岸空き地)を積極的に活用してみることによって、より身近に具体的にその意味づけが感じられるようなワークショップを行ってきました。そして今年、2000年9月10日にオープンを迎えることになりました。
セレモニーでは、町内外の文化活動(踊り、吹奏楽団の演奏など)の発表を計画しました。当日は雨天のため中止となりましたが、ワークショップで作ったお面や衣装を身に付けた子どもたちが登場し、ひまわり舞台全体が舞台装置として機能することで、ただ歩いたり、座ったり、遊んだりしている人たちも、何かを演じているようにみえました。舞台内の様々な出来事が“演劇”のようにみえはじめます。「ひまわり舞台」によってつくり出される様々な“風景”を楽しんでいただくことができました。
ひまわり舞台落成イベント
■□ 子どもワークショップ
  「風景を演じる-ひまわり舞台お面/衣装をつくる」
 【場 所】 吉舎町安田小学校
【日 時】 9月7日(木) PM3:00〜PM4:30      
【講 師】 岡崎乾二郎 エンガワ
事前に安田小学校の子供達とイベントで使用する衣装を作るワークショップを行いました。衣装はそれ自身が彫刻として成り立つものであり、その制作演習は、「身につける彫刻」を作る美術演習としても位置付けられるものです。彫刻/衣装をまとった子供達はイベント当日そこにいるだけで、舞台の出演者になり、また、同時に「動く舞台装置」にもなり、観客の目を楽しませました。
安田小学校
子供ワークショップ
子供ワークショップ 子供ワークショップ 子供ワークショップ
■□ ひまわり舞台について*岡崎乾二郎 〜 ひまわり舞台落成式挨拶より
  ひまわり舞台 落成 おめでとうございます。
町長と所長
町長と所長
 1994年のはじめからアースワークプロジェクトに関わらさせていただいて、もう7年の月日がたちました。その間に、3町に住むかたがた、役場のかたがた、そして、この地域を超えた学識関係者、建設省のかたがたなどと、未来に向けてこの地域の環境をどう残していけばいいかについて交わされた、たくさんの真摯な議論に接しさせていただくことができました。
 こんな長い議論の積み重ねのなかで、ご存知のように、ちょうど一年前アースワーク宣言として示されたとおり、今では、灰塚の環境づくりは、自然と親しむ環境づくり、あるいは水と緑を楽しむ環境づくりという理念において、誰もが一致するところまできています。アースワークという耳なれない言葉は、このただ一言、「自然の魅力を最大限生かした、美しい環境づくり」という言葉で、もうはっきりとした目標を与えられたといってもいいでしょう。
 けれど、自然を押さえつけることなく、自然から魅力を引きだすということに、ひとつの答えがあるわけではありません。魅力を引きだすということは、自然を、その中で暮らす人々の生活と、どのように結びつけるかという課題が解決されてはじめて可能になります。
吾妻屋
吾妻屋
 この『ひまわり舞台』は、こうした自然と生活を結びつける、灰塚アースワークの方法の最初の答えになることが求められました。
 ひまわり舞台のワークショップは、かれこれ4年ほど前からはじまりました。安田小学校のこどもたちと、ここにつもった雪で遊んだり、2年前にはひまわりを植えて、ちょうど9月の今ごろ、こどもたち、地域のひとたちといっしょに、学校の先生たち、建設省の人たちまで、みんなでたいへんユニークな踊りを踊ったという楽しい思い出もあります。
 簡単にいくつか、この公園のデザインで考えたことをご説明します。
 いい風景というものは一年や二年でできるものではありません。壊すのはすぐなのに、つくるには時間がかかる。なぜならば里山ということばに表わされているように、風景は人の思いと自然がぴったり合わさるところ ―― 人の暮らしと自然の営みが互いに支え合い交差するところにこそ、見いだされるからです。
 つまりは百年も二百年も愛される風景を作るということは、新しいまったくの抽象的な人工物をただポンと置くということだけでは決してできません。そうではなく、それが百年も二百年もまえから、ここにあったかもしれないと見えなければ、百年も先まで、その新しい事物は風景として、もつはずもないのです。
舞台へ
舞台へ
 5年前、ここ「ひまわり舞台」の建設予定地は、谷間にポン、ポンと置かれたさまざまな新しい建築物の間にぽっかりあいた、忘れ去られた空き地のように見えました。この谷間に引っ越してきた新しい墓地。そして再建地の立派な家々、保育所、小学校。そのときはまだ互いにばらばらに見えた、新しい建物、お墓。そして、その間になにげなく生まれた空き地。ゆえにこの空き地をうまく生かすことによって、ばらばらだった新しい建物たちと自然をひとつに溶け合わせ、調和させることもできるのではないかと考えたのです。
 この公園にある山は、この公園をとりまく山々の形を写しています。公園の中を散策しているうちに、いつしか向こうの山々まで気持ちは飛んでいく、そんなねらいがあります。それはここに作られた谷もまた同じで、上下川の谷へと連続していきます。
 この公園は小学校や保育所のこどもたち、町のひとたちが野外舞台としても活用できるようにつくられています。この舞台にとって見える風景すべては、舞台の背景として、とおい世界、いつか見た世界に思いを馳せるための美しい背景としてとりこまれています。たとえば、公園のすぐ隣に墓地がありますが、対岸の芝生から眺めると、まるで山の向こうにどうどうと構えるお城のように見えるでしょう。橋を渡ると電灯と水道の二つの塔があります。これは公園を管理するために実際に使われる電気と水の元栓ですが、この公園に橋を渡って入っていく人たちの気持ちをちょっと引き締め、つまりは光を浴び、水を浴び、気持ちのみそぎをする門の代わりにもなっています。夏には水遊びのための遊具にもなるでしょう。
植樹
植樹
 公園のなかに植えられている木や植物は、地元のかたがた、こどもたちのみんなの希望によって決められました。木登りのできる木、実のなる木、こんなに様々な果物がなる公園はめったにないはずです。今、土が見えているところには白摘草やニラの花、はぎ、彼岸花など、自然の中にごく普通に生えている草が植えられています。今はまだ種だったり球根だったりしますが、来年の春が楽しみです。
 よく雑草といわれますが、雑草という草はありません。雑草とは、自然の草が雑然と渾沌と交じり合って見える様をいうのです。はぎ、おばな、くず、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、ききょうといった秋の七草を考えてみてもそれはわかります。きちんと見分けられるとき、雑草は雑草ではありません。満月に供えられるススキは、はたして雑草でしょうか。
 この公園では、雑草が雑草に見えないように、それぞれの草木があるべきところに生え、決して見苦しく雑然としないよう、つまりは雑草が雑草に見えないように、ずいぶんとその整頓に苦労しました。草が生える場所と決して生えない場所、その区別がきれいに秩序をもって現われるように、最大限技術的な工夫をしたのです。たとえば空から舞い落ちてきた葉っぱのかたちをした、あずまやのタイルの目地は、将来コケが生えてきて、よい感じになじんでくるように、あえて凹凸をつけて貼られています。これはあの広島平和聖堂で使われている技法です。
 だから、むしろ、何にも草がはえなかったら困るのです。自然の「草はら」のなかにこの公園が舞台として浮かんでいる。それが完成のイメージです。どうかむやみに草をからないでください。ここは自然と人々の生活をむすびつける舞台、つまり百年後まで、決してあきない風景をつぎつぎと産み続けていく舞台なのですから。
 こうした新しい試みを行うことには、さまざまな困難がつきまといます。安田地区のかたがたやアースワークにかかわる人々の熱意と汗、藤元建設をはじめ実際の工事施工にあたったかたがたの忍耐と技術、そしてこの試行錯誤の連続のような工事を見守ってくださった建設省江の川事務所のかたがたと吉舎町役場のかたがたの寛大さがなければ、この公園は完成できなかったでしょう。このあいだ、ここを見に来てくれた日本を代表する建築史の先生はこういってくださいました。「こんな工事が出来たのは、現代の奇跡だね。」






灰塚アースワークプロジェクト