アートスフィア灰塚 2000アートスフィア展覧会
■□ アートスフィア展覧会:顕徳寺増改築プロジェクト
【日 程】 9月10日(日)〜9月17日(日)
【テーマ】 旧顕徳寺の構造と増改築のデザイン
【メンバー】 中谷礼仁(建築史家、大阪市立大学講師)
長田直之(助手、建築家(ICU))
幸家大郎(助手、建築家(幸家大郎建築設計事務所))
今井不二男(神奈川大学大学院博士前期過程1年)、柿原拓史(福山大学工学研究科建築学専攻)
笠松義紀(大阪市立大学工学部建築学科)、上條大輔(大阪市立大学工学部建築学科)
河部真里(広島工大工学部建築学科)、松本崇(大阪市立大学工学部建築学科)
新原朋史(大阪市立大学工学部建築学科)、竹内一紘(広島大学工学部第4類)
白國麻衣子(三重大学大学院)、三浦貴久(ICSカレッジ・オブ・アーツ・インテリア学科)
福井淳史(近畿大学大学院総合理工学研究科環境系工学専攻)
河田剛、北浦千尋、田中昭臣、矢本宏、虎谷美紀(アシスタント、大阪市立大学中谷研究室)
顕徳寺
顕徳寺
■□ はじめに
住まいや建物が次々に建替えられてゆきます。でも本来、住まいは連綿と建てつがれてゆく――増改築される――存在であったことも皆さんはご存知でしょう。灰塚アートステュディウム2000:Bコースでは、三良坂町の協力のもと、廃寺となっていた旧顕徳寺の構造をうまく受け継ぎながら、勉学の場所としての寺子屋に改造することを目的としました。
■□ 旧顕徳寺の構造
この廃寺は、それ自体が連綿と建て継がれた構造を持っています。寺部分西側にいつごろか民家の一部が移築されたようです。これはダムエリアにあったいくつかの民家の平面形式に顕徳寺の西側部分が(庫裏といいます)、大変よくにていることから推測できます(図1、2の事例)。またこの元民家自体がそれ以前にも建て継がれていたことを示すように、蛤刃跡(図3)のついた柱(江戸初期までさかのぼるかもしれません)が残っていました。この朽ちかけた廃寺にはおおよそ300年ぐらいさかのぼれるかけがえのない情報がパッケージされていました。
顕徳寺の構造
図1 図2 図3

図3 蛤刃跡 
■□ 増改築のデザイン
今回この廃寺を寺子屋に改造するにあたり、以下のことに留意しました。
 ・ 今ある建物をよく読むこと。
 ・ さりげなく、かつ的確に新しい機能をもりこむこと。
 ・ 今回の増改築がこの廃寺を過去に追いやることなく、新しい1ページとして付け加えられること。
具体的に次のような計画を提案しています。
 ・ 新センターラインの設置
寺院部と民家部をつなげる東西の長い一体的な空間を設定し、寺子屋としました。ぜひ民家側玄関から上がっていただき、その奥行きを感じてください。
 ・ さりげなく、かつ的確に新しい機能をもりこむこと。
今は不在となった本尊から門に至る南北の強い軸の意味を、和やかに中和しています。
 ・ 今回の増改築がこの廃寺を過去に追いやることなく、新しい1ページとして付け加えられること。
明治期に戦勝記念として建てられた清正公堂を講師控室にしました。最低限の付加で少しユーモラスで劇めいた部屋になりました(今回は計画のみ)。
デザインは新しいものを無理やり押し付けるのではなく、むしろ過去と現在との関係性の発見にあります。旧顕徳寺には、まだまだ修理しなければいけない部分がたくさんあります。でも法隆寺を見ればわかるように、すべての建物はもたそうと思えばもつのです。知恵と愛着とわずかばかりの資材が生えてくることを願って今回の成果を公表します。
■□ 作業のフロー
実測
i) 実測(8/28〜29)
スケッチをし、それをもとに実測を行う。実測することによって建物を把握し、無理のない増改築プランを提案できるようにする。
分析
ii) 分析(8/30〜)
実測図面をもとに分析を行い、模型を作成する。また、寺子屋に必要な装置の提案を行う。=寺子屋シンポジウム
設計
iii) 設計(9/1〜)
各自の提案に基づいて設定された3つのプロジェクト(新センターライン、旧センターライン、鈴屋)にわかれて、設計、施工を行う。
完成
iv) 完成(9/10)

視点位置
外観
1) 外観
竹床
2) 竹床
改築前内観
3) 改築前内観
新センターライン
4) 新センターライン
鈴屋
5) 鈴屋
黒板建具使用例
6) 黒板建具使用例
アートスフィア展覧会黒目スタジオ野外:御調谷地区三良坂駅旧顕徳寺






灰塚アースワークプロジェクト