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知和大橋 福井 裕司 
(建築家)
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知和大橋高欄デザイン
広島県北部吉舎町に計画された知和大橋は全長138m、幅10.75mの県道線上、このエリアにおいては吉舎町知和地区から隣町の三良坂町地区を結んでいる。吉舎町、三良坂町、総領町の3町にまたがるこのエリアは灰塚ダム建設計画に伴い新たな環境整備が行われた。この全体計画により自然環境、地元住民の生活や意識など様々な側面で、新たに付加されるもの、置換されるもの、削除されるものというように変化しつつある。
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このエリアには8本の橋が計画され、この知和大橋もその計画の一つであり、新たな道路建設により今までの生活形態が変わることとなる。整備されることにより、マクロな視点では交通の便が良くなるわけだが、ダム建設における水位の問題から旧道路が全体的に高い位置に持ち上げられる。以前行くことが出来た場所にアクセスが困難になったり、道が車両にとって便利になることで山や川が車窓越しの視覚的風景だけになってしまうというような問題も生じる。この知和大橋プロジェクトでは、そのような事柄を中心として考えることとなった。しかし、このような問題提起がデザインを成立させるためのデザインする側の一方的で強制的な手法や言い訳になりすぎてもいけないという疑問もある。そこで地元住民を中心としたワークショップ的な活動を繰り返し行い、橋というものについてより積極的に皆が接することができないかということを試みた。同時に、その交流の中から素朴な意見や普段の住民達の意識など様々なリアルなことも吸収することができた。
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現地での様々な体験から、橋というものは「何かと何かをつなぐもの」という視点に立って考えることとなった。知和大橋は全長138mあり、橋としては一般的な大きさだが、人間一人のスケールに対しては巨大な構築物である。橋全体を把握するには地図のようなマクロな視点になりがちであるということから、そのマクロなスケールと人体スケールというものをつなぐものとしての橋にならないかとを考えた。その一つとして高欄というものは一般的には防護柵としてあるが、実際の手/皮膚と橋との唯一の接点でもあるということをデザインの中心としてとらえた。

「まど」
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そこで高欄/防護柵から派生してきたものとして、家の窓のようなフレームを設置した。その窓は、以前は行くことが出来たであろう場所も展望できるスペースでもあり、地元住民やアーティストが何かを展示できるスペースでもあり、また巨大構築物に対しての家のドアや窓といった 人体スケールの象徴であったりする。

「こしかけ」
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同時に、高欄端部には従来のモニュメンタルな親柱に置き換えられる 「みんなの家具」といったものが設置されている。橋の表札のように扱われている親柱を、より積極的に人体と触れることができるものとして変換できないかということである。
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「ほたる」
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さらに、高欄の材料として使用される一般的な既成鋼管を折り曲げたものが54本付いており、それぞれの先端には照明が施されている。それらの照明は夜間に蛍のようにほのかに光る。「まど」や「こしかけ」が昼の橋のためのものであるのに対し、「ほたる」が夜の橋のためのものである。これは、旧道が水辺近くのレベルに 以前あったが、ダム建設のため数十メートル上のレベルに持ち上げられたことから、そのまま蛍も持ち上げられたようになっており、その高低差をつなぐものとしてある。

以上の広い意味での「何かと何かをつなぐもの」としての橋ということから、橋が単なる交通的なある2地点をつなぐものとしてだけではなく、ひと、もの、行為、記憶、スケールなどといったものどうしをつなぐものとしてあり得るのではないか。


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