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Q. |
灰塚ダムはなぜ必要なのですか? |
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A. そもそもの要因は灰塚エリアの下流にあたる三次市、庄原市といった広島の中核都市が昔から悩まされてきた洪水による被害をなくすために考えられたもので、100年に一度の大洪水に対する洪水調整であり、流水の正常な機能維持、および水道水の供給を主要目的としています。 |
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Q. |
このダムの規模はどれくらいですか? |
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A. <重力式コンクリートダム>
流域面積217平方キロメートル、湛水面積3.5平方キロメートル(サーチャージ水位)、常時満水位231.2m、洪水時満水位247.3m、最低水位222.7mで有効水深(常時)は8.5m。 |
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Q. |
住んでいる人はダムができることをどう受けとめたのでしょう? |
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A. 灰塚ダム建設対策同盟会編集・発行『誇りうるふるさとを−灰塚ダム闘争30年の記録』(1998年)を参照(現在まとめ中−簡単に説明できません)。 |
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Q. |
反対運動などはおこらなかったのですか? |
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A. ダム建設の話が持ち上がったのは約30年前の1965年でした。その後、直ちに地元住民による灰塚ダム建設反対期成同盟会が設立され、積極的なダム建設反対運動が行われました。
しかし1972年、梅雨前線豪雨による出水で、江の川沿川地域は未曾有の大災害を受けました。死者22名、家屋被害10,540戸、農地被害765haという被害は、直接被害にあった人々だけでなく、灰塚周辺の人々に与えた影響も大きかったといえます。
この後、予備調査段階から18年を経て、1984年現地調査(実施計画調査)に着手しました。灰塚ダム建設反対期成同盟会は建設対策同盟会に名称を換え、生活再建代替地案および周辺整備構想について灰塚ダム方式での協議がはじまり、水没予定地に住んでいた住民も徐々に移転交渉のテーブルにつきました。そして、1990年全ての住民の移転交渉・賠償交渉が終了しました。
現在、総領町田総の里、吉舎町ひまわり集落、三良坂町のぞみが丘といった、再建地での生活環境も整い、新たなコミュニティづくりが進んでいます。
*灰塚ダム建設対策同盟会編集・発行『誇りうるふるさとを−灰塚ダム闘争30年の記録』(1998年)を参照(現在まとめ中−流れは上記の通りですが、内実は十分説明しきれていません)。 |
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Q. |
なぜ、ダム建設を受け入れることになったのですか? |
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A. ひとつには、1972年の洪水の被害の大きさがあげられます。洪水調整用ダムの必要性は高まりました。また、この地域が抱えた『過疎』問題がますます深刻化したことがあげられます。減反政策も加わり、住民の生活条件の変化がこの問題を加速しました。過疎化と住民の高年齢化によって世帯数が減少し、各地に分散している、わずかな戸数だけ残された集落を、ダム建設を機会に、新たな生活再建地に集めて、コミュニティーを再生させようという企図もありました。
*灰塚ダム建設対策同盟会編集・発行『誇りうるふるさとを−灰塚ダム闘争30年の記録』(1998年)を参照(現在まとめ中−流れは上記の通りですが、内実は十分説明しきれていません)。 |
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Q. |
ダム建設による生物・植物といった生態・環境への影響は? |
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A. 「田総川・上下川流域の自然」
◇ 地 質
中国山脈に通じる山部には2億年前の古生層が、中腹にあたる地域には7000万年前から積み重ねられた中生層が、いづれもアルカリ性の土壌として残っている。現在の居住区(一部はこのダム建設により移転)は、かつて湖だったところで2000万年前から土砂礫を堆積した弱酸性の洪積層となっている。
この地域は元々は日本海側の海の底であったが、長い年月を経て、水がひき山の中腹部分に湖としてあったのが現在の居住区を含めた灰塚ダム周辺地域であり、そこを流れる川が田総川・上下川である。(よってダムはいわゆる水源を塞き止めるというよりは、中流域を塞き止めることになる)
◇ 古生層・中生層
安山岩・流紋岩(サンゴの死骸で石灰岩層に連続している)吉舎安山岩、高田流紋岩
◇ 洪積層(堆積層)
周辺から湖沼に流れ込んだ土石、土砂礫層、塩町類層を含む備北層群(塩町という地名の由来)
◇ 植 生
植生は二次的自然林で、アカマツ、コナラ、アベマキ林、ナラガシワ、アラカシ林、人工林(スギ、ヒノキ)からなる。
中生層を好む植物として、セツブンソウやヤマトレンギョウなどの環境庁による、レッド・データ・ブック(絶滅が危惧されている動植物)に記載されている種目をはじめ、シダ類、イチゲなどの北方系と南方系、海岸性の植生がある。堆積層を好む植物としては、エヒメアヤメ、コシヲブラなどの弱酸性土壌と大陸系の植生がある。
◇ 動 物
【哺乳類】 |
イノシシ、タヌキ、アナグマ、イタチ、ヌートリア、ヒミズモグラなど |
【鳥 類】 |
オシドリ、ヤマセミ、カワセミ、アカショウビンなど |
【両棲類】 |
オオサンショウウオ、ブチサンショウウオ、カスミサンショウウオ、ダルマガエルなど |
【魚 類】 |
オヤニラミ、アブラボテ、ヤリタナゴ、カネヒラ、タカハヤなど |
【貝 類】 |
イシガイ、マツカサガイ、トンガリササノハガイ、カワニヤなど |
【昆虫類】 |
モンキアゲハ、アオスジアゲハ、ナガサキアゲハ、タガメ、ゲンゴロウなど |
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Q. |
人々の生活は、自然とどのように結び付いているのですか? |
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A. 地形と川を利用した生活様態
山足の利用や草刈りをおこなう。この下草刈りにより、セツブンソウは生息。
A. 動植物との共生
稲作文化との係わりにより、衣・食・薬・住といった、人間の生活と自然の利用を共に生き残れる形で行ってきた。衣服には、クズ・ヤブマオなどの樹木や繭糸、麻などを使う。食物には、稲作を中心に、ヨメナ、セリ、ミツバ、ヨモギなども利用された。そして住居の材料として、マツ、クリ、ケヤキなどを使っていた。また、かつては製鉄もおこなっており、その材料として大量の材木を使った炭焼き文化もあった。 |
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Q. |
文化や歴史、生活の変化は? |
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A. 古い歴史をもつ灰塚には数々の文化財があるが、先人の生活や信仰を偲ぶ素朴なものや、荻原城主湯谷氏に関係した史跡・文化財が多く残っている。
その代表は江戸時代中期の農家「旗山家住宅」で、国の重要文化財に指定されている。荻原城跡・福山城跡は湯谷氏が築いた戦国時代の山城跡で、荻原城跡は灰塚のシンボルといえよう。寺は湯谷に興聖寺、矢田に顕徳寺があり、いずれも湯谷氏によって創建されており、灰塚の廃白鷺寺跡には穴観音が祀られている。神社は灰塚に宗像神社(別名名美保神社)、湯谷に宗像神社(別名大谷神社)、矢田に八王子神社が鎮座している。その他、四国八十八ケ所のお大師さんや庚申塔、馬頭観音、荒神さんなどの庶民信仰を伝える石仏や祠、湯谷氏に関係する宝篋印塔など多くの石像物が眠っている。
また生活再建地の造成中に古墳や古代の集落跡が発見され、灰塚にこの時代から人々が暮らしていたことが立証された。 |
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Q. |
ダム建設により失われてしまう歴史的遺物や植生、動物については残す努力は? |
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A. 歴史民族資料館館の建設予定。植生・絶滅動物についてはケースバイケースで対応を検討、実施中。 |
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Q. |
アースワークとはどのようなものですか? |
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A. もともとアースワークとは、山や川、大地など自然そのものを素材として展開される芸術活動で、1960年代末から70年初頭にかけて、アメリカ南西部のテキサス、ネヴァダ、ニューメキシコなどの砂漠地帯で集中的に始められた新しい芸術の形態です。
当初、水に浸からない広大な高水敷エリアに、アースワーク作品を作り出すことで、これまでにないダム周辺整備をしてみようということで、アースワークプロジェクトとして開始されました。しかし、ダムだけでも異物が持ち込まれるのに、更にわからないものが作られるということに対し、地元からの反発もありました。そこで、サマーキャンプ、ワークショップ形式でアースワーク(現代美術・芸術)について、普及しながら、地元の方々にも係わりを持ってもらおうとしました。この発想が、大きく拡大し、現在では単なる大地の芸術という意味合いだけではなく、より広義の芸術文化活動、ダム事業の統一的な整備に繋がっています。 |
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Q. |
なぜ、アースワークなのですか? |
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A. 灰塚ダム建設予定地でアースワークを行う目的は、
1. 自然と一体化するアースワークによる文化的な観光資源づくり
2. 訪れる人々とアースワークとの新しい出会いの場づくり
3. 多くのアーティストや関係者が集まる活動の場づくり
4. アーティストの活動を通した芸術教育への効果
などに集約されると考えます。言い換えれば、豊かな自然と芸術と人とが互いに交流することによって、新しい美しさと楽しさを生みだそうというものです。 |
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Q. |
とはいっても、よそから来て、勝手に自己表現をして帰ってもらっても困りますが‥‥。 |
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A. 基本的に94年度のワークショップで確認された課題・基本方針にのっとって作業を考えてもらうことになります。
◇ 環 境 |
(1) |
管理道路の作り方について――道路が生態系を切断してしまうことの影響が危惧される。どう考えていけばよいか? |
(2) |
水没地域及び河川敷の空間をどう埋めるのか? |
(3) |
ダルマガエルに代表される稀少動植物をどう残していくのか?
(移転、保護、調査、研究を含む体制作りの方法) |
◇ 歴 史 |
(1) |
水没してしまう山(山城)、部分的に浸かってしまう部分の形態をいかに残すか? |
(2) |
石造物(庚申搭、馬頭観音などを含む)をどうするのか? |
(3) |
住民の生活区域の変遷(山→川→山)をどう考えるのか? |
(4) |
陶芸、炭焼き、鉄の精製などの過去の生産方法を芸術、文化活動の一環として利用できないか? |
◇ 社 会 |
(1) |
人口の減少、老齢化にどのように対応するのか。 |
(2) |
新たなひとびとの結び付きと再生を繰り返していけるような町の仕組みを考える。 |
という基本方針のもと、より具体的なアイデアやデザインを募り、状況にあった選択により、実際にその作業にとりかかってもらうことになります。 |
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Q. |
では、誰がそれを決定するのでしょうか? |
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A. 3〜5年後に迫ったダム堤防建設に先立ち、早急に要請される護岸や橋、管理道路周辺などの具体的なデザイン、企画について、実行委員会を主体として様々な提案が、建設省に対しなされています。環境や生態系、地元代表やアーティストによる委員会の正式な設立までは至っていませんが、建設省との連絡調整会議、地元での事務室会議、運営室会議、総会などで、その内容についての必要項目、条件などを討議しています。
基本的には、これらの会議での決定にしたがって最終的なダム周辺整備につなげていく予定です。 |
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Q. |
外部(外国を含む)からの意見はどうやって取り込んでいくのでしょう? |
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A. これまで行われてきたワークショップやキャンプにおいて出されている提案や、個別の箇所について協議が進んでいます。外部からアイデアを提供してもらうといった方法もとられていますが、地元での協議に従ってアイデアを確定していったり、この地に訪問してもらうことから、雑談ができるような場、会議の場から、様々なアイデアが生まれ、意見として反映されようとしています。 |
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Q. |
漠然とした質問ですが、芸術が環境を救うことは可能でしょうか? |
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A. 現在考えられている、土木構造物に対する施工方法は、のり面緑化を基本とする、護岸は極力近自然工法を取り入れる、歩道部分を歩きやすい素材とする、代表的な橋梁にはデザイン的な要素を折り込む、などの方法をとっています。これは、できるだけ地場の自然材を利用し、地域に伝承された技術を活用したヒューマンスケールの環境デザインともいえ、単なるランドスケープデザインとは一線を劃して考えられます。また、美術的な考え方として、いわゆるパブリックアートとも違った、その場その場での状況や、必要性により景観を含めた美術空間を造り出していく、まさにサイト・ジェネレイトな考え方もなされています。これらの取り組みが、直接環境を救うことになるかまだはっきりしませんが、新たな試みとして実践するに値する試みと位置づけています。 |
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Q. |
今後の予定については決まっているのでしょうか? |
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A. これまでの活動内容を踏まえ、より一般的な美術・建築教育も可能な場を創出する。利用可能なスタジオ・アトリエを増やし、国内外のアーティストがそこを利用できるようにしています。また、アーティストの滞在しない時期には、スタジオ・アトリエ施設を地元住民にも解放することとし、より具体的にものづくりを体験できる設備も整えています。
勉強会や講演会などを通じて、美術、建築の基礎的な知識、環境やエンジニアリングの結び付きなどについて、広く普及させていきながら、外部と内部の共同作業を実施していこうとしています。
これらの恒常的な活動にもとづき、夏季あるいは冬季といった特定の時期に、全国から学生を募り、恒例となったキャンプ形式で演習やアーティスト・イン・レジデンス事業、展覧会事業を展開していこうとしています。 |
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Q. |
お話だけではやはりわからないところがあります。実際に現地に行くにはどうしたらよいのでしょう? |
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A. まずはアースワークセンター内の灰塚アースワークプロジェクト実行委員会までご連絡下さい。
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