Summer Camp 1996
Guest Lecturer: SHIRAI Mio
白井美穂
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私は今回3つのプランを提出しますが、これらは山を遠くから眺めることと、登山して実際山の中にいるということとの隔たりの様なものから出てきた考えです。
初めて灰塚を訪れて、私は樹木や草花、川と川辺りの古い住居といったものを非常に美しいと感じましたが、特に夜三歩に出て暗闇に浮かび上がる山々のシルエットを見ていると、巨大な舞台装置の様で、私が持っていた山に対する印象とのあまりにも違い、それが本当の山とは思えなかった位です。もし昼間にその山の中にいたら、登山の各瞬間ごとに出会う数々の自然の表情によって、夜遠くから見たのとは異なる体験をすることでしょう。
よそから私が美しいと思うこういった自然の中においても、実際まさにこの地で生活する人々にとっての環境として、私には想像しえない面をたくさん持つものであると思います。生活の場が違う者同士はただ遠くからお互いの山を眺めるだけの関係でしかないのでしょうか。
そのこと自体もテーマに含めて、人と外界との関係を示すシンプルなモデルとしてのアースワークを提案したいと思います。

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(1) 眺める人
   大きな人型のシルエットと、その少女の持ち物であるくまのぬいぐるみの形が遠くの風景を眺めているかのように見える。これを目にする人は、眺めている人を眺めることになる。大きな人型にとっては、くまは小さいぬいぐるみでしかないが、実際の子供達にとっては、その懐にすっぽりいれる大きさの熊である。建築の外壁などが蔦で埋っていると時間の経過を感じさせ、とても古い建築のように見えるが、この人型とくまにも蔦を這わせ、これによって少し寓話の要素が取り入れられる。二人(一人と一匹)は風景に見いっているうちに時が経つのを忘れてしまい、それ自体が蔦でびっしり埋ってしまった。
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(2) 眠る人
   山を遠くから見た時の形象を人型に例えて男山や女山といった名称を付けることがあるが、この場合最初から、眠る人型の丘を作る。眠る人はガリバーが小さい人々の国に行った時の様に巨大なので、皆が自分の上に登っているのに気が付かないで眠りこけている。一方、人々にとっては眠る人が大き過ぎて、人型である丘のなかにいることに気が付かない(魚の世界)。
眠る人の髪やスカートの斜面で寝ころがったり、腕の下に隠れたりすることが出来る。
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(3) 水車小屋
   ダムが設計されるようになる以前からエネルギー技術として存在していた水車をもう一度作る。水は、天地の間を循環し、水車の回転自体が自然の循環し、水車の回転自体が自然の循環に類似する。この水の動力を使って、ガラス張りの水車小屋の中で操り人形が動く。しばらく突っ立ったままの人形ががくんと膝を折ってくずれ、(厄年の様なものである)しばらくするとまた立ち直る。これを一日のうちに延々と何度も繰り返すが、水量によって動きの速度が変化し、また人形の頭と関節を上方から吊るだけなので、二度と完全に同じ形をとることはない。


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