概説《テキスト+写真 No.1》(アートスフィア灰塚 '98・中谷ワークショップ) Text Photo
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ここが灰塚ダムの建設予定地周辺です。もう民家も移転して、雑草の生い茂る無価値な空間がひろがっています。こんな空間に、どれだけの新しい価値が発見できるのかに挑戦するのが、中谷ワークショップの課題です。
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ふと下を見ると、川底に何やら得体のしれないものが転がっています。昔の護岸の一部かもしれません。今はその役目を果たし、私たちに発見されるのを心待ちにしている物体〔オブジェクト)になっています。
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いきなり車を飛ばして、移転された方々の再建地のひとつ「のぞみが丘」に行きました。近代的な道路の彼方に見えるのは、移転し併合され再建された大きな神社です。つまり水没エリアのいくつもの神社をまとめて大きな神社を新築したのです。大変立派な神社ですが、昔ながらの村中の神社のイメージは消え去っています。現在の都市プランニングの中では致し方のないことなのですが、こういう神社のあり方は、むしろ非常に近代的なものとして歴史化される可能性があるでしょう。最近、近代化遺産という文化財基準が生まれつつあります。日本の近代化に関連する建造物などを評価しようとするものですが、やや皮肉交じりにその基準をこの神社のあり方に、あてはめてみてもいいような気がします。いわば灰塚の「近代化遺産」の筆頭です。なんにせよ、近代はすでに終わりつつあるのです。
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神社への道すがらに置かれた、灯篭の足下を見ると、それが万延元(1860)年の作であることが分かります。つまり昔の神社の断片を持ってきているのですね。こういう手法は、昔明治のころにあった、国家による神社併合(小規模な神社、祠を一つにまとめて国教としての体裁、管理をすること)を思い起こさせます。とにかく近代的な手法ですね。
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これは神社の隣で移築復原中の、畑山家住宅(国指定)です。水没を防ぐために移築されたのです。元来ならば、神社のすぐ横に民家を置くのは、少し変なことですが、いずれも「伝統的なもの」として一括した価値を与えられているがゆえのまとめ方なのです。この置かれ方も近代化遺産の資格大有りです。
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少し離れたところに、移転された方々の墓地がひろがっていました。このまとめられ方も近代的なものですが…(次へ続く)。
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ある墓の裏の銘を見ると、ちゃんと移転に関わる経緯を書いて、子孫にその出来事を伝えようとしているものがありました。いわば近代の超克(彫刻)です。こういうのを拝見すると、ホッとします。
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このブルーシートは何でしょう?(次へ続く)


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