概説《テキストのみ》(アートスフィア灰塚 '98・中谷ワークショップ) Text+Photo Photo
01. ここが灰塚ダムの建設予定地周辺です。もう民家も移転して、雑草の生い茂る無価値な空間がひろがっています。こんな空間に、どれだけの新しい価値が発見できるのかに挑戦するのが、中谷ワークショップの課題です。
02. ふと下を見ると、川底に何やら得体のしれないものが転がっています。昔の護岸の一部かもしれません。今はその役目を果たし、私たちに発見されるのを心待ちにしている物体〔オブジェクト)になっています。
03. いきなり車を飛ばして、移転された方々の再建地のひとつ「のぞみが丘」に行きました。近代的な道路の彼方に見えるのは、移転し併合され再建された大きな神社です。つまり水没エリアのいくつもの神社をまとめて大きな神社を新築したのです。大変立派な神社ですが、昔ながらの村中の神社のイメージは消え去っています。現在の都市プランニングの中では致し方のないことなのですが、こういう神社のあり方は、むしろ非常に近代的なものとして歴史化される可能性があるでしょう。最近、近代化遺産という文化財基準が生まれつつあります。日本の近代化に関連する建造物などを評価しようとするものですが、やや皮肉交じりにその基準をこの神社のあり方に、あてはめてみてもいいような気がします。いわば灰塚の「近代化遺産」の筆頭です。なんにせよ、近代はすでに終わりつつあるのです。
04. 神社への道すがらに置かれた、灯篭の足下を見ると、それが万延元(1860)年の作であることが分かります。つまり昔の神社の断片を持ってきているのですね。こういう手法は、昔明治のころにあった、国家による神社併合(小規模な神社、祠を一つにまとめて国教としての体裁、管理をすること)を思い起こさせます。とにかく近代的な手法ですね。
05. これは神社の隣で移築復原中の、畑山家住宅(国指定)です。水没を防ぐために移築されたのです。元来ならば、神社のすぐ横に民家を置くのは、少し変なことですが、いずれも「伝統的なもの」として一括した価値を与えられているがゆえのまとめ方なのです。この置かれ方も近代化遺産の資格大有りです。
06. 少し離れたところに、移転された方々の墓地がひろがっていました。このまとめられ方も近代的なものですが…(次へ続く)。
07. ある墓の裏の銘を見ると、ちゃんと移転に関わる経緯を書いて、子孫にその出来事を伝えようとしているものがありました。いわば近代の超克(彫刻)です。こういうのを拝見すると、ホッとします。
08. このブルーシートは何でしょう?(次へ続く)
09. 実は水没予定地で見つかった、竪穴式住居址です。本当の考古学的遺産ですが、調査後水没の運命にあります。この上には移転前まで民家があったのですが、もしかして遠い親族関係だとすると、大変気の遠くなるような歴史をお持ちです。
10. さてこちらは健在の神社です。総領町の木屋地区にあったものですが、この地方の村社の雰囲気を良く伝えています。
11. このような何気ない神社も先の近代的な神社と比べると、学術的な価値以上の価値を秘めていそうです。つまり巧みな環境装置としての価値です。
12. 同じ神社の神楽殿で干されていた、ハーブです。美しい風景ですが、こういう風景を価値づける言葉は、まだまだ貧弱だと言わねばなりません。
13. さてこちらは黒目のアースワークスタジオの天井です。元中学校であったものがFRP工場になり、廃業の後スタジオとして再生しようとしているところです。講堂の天井は、大空間を木造で架構するため、イギリス起源のキング・ポスト・トラスが用いられていました。舶来のありがたい技術というところです。
14. ところが同じ元中学校のはがれた壁を見てみると、昔ながらの木舞い下地が現れてきます。先の西洋伝来の技術とこういう昔ながらの技術が、同居していることこそ、貴重なことなのです。いずれも不断は見えない部分なのですが、建物の歴史的なリアリティーというのはえてしてこういうところに潜んでいるのです。
15. また話は変わります。これは山中にあった砂防ダムです。洪水などによる土砂の移動を防ぐために設けられた小規模なダムですが、これもまた近代化遺産の一つです。
16. でも近代的なものを遺産として登録するには、近代がすでにいったん意味をなくしていることが必要です。そうしないと単に現状を肯定しているだけですから。するとこの砂防ダムの上と下では明らかに植生が変わっています。良し悪しの判断はつきかねるのですが、上流ではセリが繁茂していい感じです。このように第二の風景を作っているという点で、初期目的は無くなって、新しい価値が見いだされようとしている感じがします。
17. あー、これは最近町によって新築された近代化遺産です。その特質をすべて備えていると言っても過言ではありません。
18. これからはちょっと変なものをお見せしましょう。これは吉舎町にあった曲がった電線です。支持なしでなぜか曲がっているのです。
19. よく見ると、近くの店附近のもう一本の柱からワイヤーで引っ張っていました。いまだに謎ですが、何かこうしなければいけない理由があったのでしょう。しかしその解決法は非常に魅力的です。こういう仮設的な智恵をほめてあげることはできないでしょうか。
20. これはすでに有名となった三良坂町にある写真館です。とてもハイカラな良質な近代建築ですが、…(次へ続く)。
21. よく見ると店先庇の柱頭は猫の手のようです。デティールはそれはそれで独立して魅力を持っているようです。
22. これは道端にあった薪を乾かすための一種の建造物です。側面がオーバーハングになっているところなんか、機能的な意味があるのが、それとも別の目的があるのかとても興味深いです。
23. 他のところにあった同種のものです。角度は違いながらもやはりオーバーハングしています。詳しくは知りませんが、伝承された知恵として扱えるかもしれません。
24. では次に何かと問題の多い山留めです。
25. いろいろと種類がありそうですね。そういえば山留めばかりを写した写真家もいましたっけ。
26. ここでちょっと面白かったのは、山留めに設けられた私用の階段ですね。とろけています。配合が悪かったのでしょうか、逆に良いぐあいにとろけています。
27. とろけた階段の詳細です。人間と自然の見事な合作です。
28. 人間と自然の見事な合作といえば、総領町の東に縄文人の穴居がありました。洞窟をさらに削って拡張したもので、縄文人の手の痕跡が残っています。こうなると、人間と自然の分け方も再考を迫られそうです。
29. 同じく総領の東の黒目地区の廃校を買い取って、日曜大工で別荘に改築されておられる老夫妻のもとに訪れました。これは工作室です。見捨てられたものが、新しく価値を見いだされる現場です。
30. 老夫妻にお別れしました。
31. 最後の写真です。総領の木屋地区にあった納屋倉の土台の詳細です。乱雑な石積ですが、まる、さんかく、しかくの自然石の配合が天才的です。こういう技は、どう評価すればいいのでしょうか。
en. とにかくへんぴ(失礼)なところ、あるいは有限なエリアでも、見いだされる価値は無数にありそうです。1998中谷ワークショップは、有限にいかに無限な価値を見いだしていくか、この難問に果敢にぶつかっていきます。
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