大鹿智子作品+朗読(総領町議場)

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マルグリット・ユルスナール原作
『死者の乳』より

――さようなら、わたしのいとしい膝。この膝はもう赤ちゃんをゆすることもない、養いの糧と日蔭とを与えてくれる果樹園のきれいな木の下に坐って、この膝においしい果物をいっぱいのせることもない。
壁はもう少し高く積まれ、若い女は言葉をつづけました。
――さようなら、わたしのかわいい手。からだにそって垂れたまま、この手はもう御飯ごしらえをすることも、羊の毛を紡ぐこともない。いとしい人を抱くこともない。さようなら、もうみごもることも恋いを知ることもないわたしの腰、わたしのお腹。わたしが生むはずだった子供たちよ、一人息子に与えてやるひまのなかった兄弟たちよ、やがては墓となるこの牢屋の中で、おまえたちがわたしにつきあってくれるのね。ここでわたしは最後の審判の日まで、眠らずに立ち通すのです。 石の壁はすでに胸まで達しました。そのとき、若い女の全身を戦慄が走り、哀願するその眼は、垂れた両手のしぐさに代わるだけの表情をもっていました。
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