大鹿智子作品+朗読(総領町議場)

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彼らは弟の嫁の言う通りに、眼の高さに水平の切れ目を入れるように細工しました。日の暮れ方、母親がいつも乳を与える時刻に、彼らは赤ん坊を塔まで連れていきました。すると囚われの女は赤児の到着を歓びの叫びで迎え、二人の兄に祝福の挨拶をのべたのです。堅くあたたかい乳房からどっと乳があふれました。そして自分の心臓と同じ血肉でできた幼な児が、胸によりかかって眠りこんだとき、彼女は厚い煉瓦の壁のせいで曇った声で唄いました。赤ん坊が胸からひきはなされると、彼女はテントに子供をねかせに連れて行くように命じたのですが、しかし夜通し、やさしい唄のしらべが星空のもとに流れて、遠くからきこえるこの子守唄のおかげで赤ん坊は泣かないでいられたのです。あくる日、彼女はもう歌わなかった。次の日、彼女は口をきかなかったが、まだ息はありました、檻の中で息づく度に乳房が上がったり下がったりしていたからです。二、三日すると声と同じく息も絶えましたが、しかし動かぬ乳房は少しも涸れることなく、やさしいゆたかさを保ち、胸のくぼみで眠る児はなおも母の心臓のひびきを聴いていたのでした。やがてけだるいその眼は、水のない井戸に映る星のように光を失い、壁の隙間から見えるのはもはや空をみつめない二つのガラスのような瞳だけでした。こんどはその瞳が溶け出て、うつろな眼窩の奥に死相がみられるようになりましたが、若々しい胸だけはそのまま、二年間も、朝と昼と夕べに、奇跡の乳をほとばしらせ、とうとう子供が自分で乳ばなれして乳房を恋しがらなくなるまで、それがつづいたのです。
そのときはじめて涸れきった胸はぼろぼろに崩れ砕けて、煉瓦のへりにはもはや一握りの白い灰しか残りませんでした。
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