稲垣栄三氏・田中文男氏を囲んで
1999年8月9日(月)
ふるさとセンター田総(総領町)
特別ゲスト:稲垣 栄三(建築史)・田中 文男(大工棟梁)
ゲスト参加:野々村 文宏・岡崎 乾二郎 
司会:中谷 礼仁 
■□ 中谷ゼミ特別講義:稲垣栄三氏・田中文男氏を囲んで
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. *  稲垣氏・田中氏からの問題提起
*  景観を守る技術やシステム
*  弱い技術・強い技術
. *  風景を決済する主体
*  すきま産業の在り方とサバイバルとしての芸術

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*  稲垣氏・田中氏からの問題提起
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稲垣  本来備わっている自然の景観を維持することとアートがどう関係しているのかという疑問があり、今でも疑問はあります。今日いろいろご案内いただいたのですが、むしろ今まで努力したおかげでダムの問題、ダムの何十年にわたる反対運動、そして恐らくやむを得ないダムの受け入れだとおもうのですが、そういう話が進んでいる中で、全体として人間がここに大勢の人が集まって手を加えようとしている。箱ものをつくらないということ、「ではつくらないでどうやっていくのか」という課題、基本的な問題がある。つくらないということには大賛成です。私は建築の保存に関わっていたのですが、建築の保存というのは今は一つの独立した制度になっています。保存に関わっている人はかなりの数います。ただ制度として完成していることと、だから安心だということにはならない。問題は個々の建築ではなくて全体の農村の景観なんです。それで今日本という国が抱えている問題は、ひとつには都市ができないということと、それにも関わらず農村が破壊されているという両方の問題があります。ご承知のようにヨーロッパ、中国、アラブのように都市というのは城壁に囲まれているわけです。城壁に囲まれている中が都市であって、その外は砂漠であり、無法地帯であって人が住めないところです。ですから、城壁で囲まれた中で人は工夫しあって人間関係を築いてきたし、それから人間の住む環境を専ら人間の手でつくってきた。保存ということは、囲まれた都市の中での完全に完結した人間関係の中で生きていくということですが、日本の場合は最初から境界がない、古代の平城京、平安京から現代に至るまで境界、境目がない。戦後から今までの経過で言えることは、日本全体が都市化したということですね。極端に言えば農村風景はなくなった。新幹線に乗っていて建物が目に入らないというところは今やなくなってしまった。ひとつの問題は、都市をこれからどうやってつくっていくか、もうひとつは裏返しとして農村風景をどうやって保存できるか。印象ということですと、今日、灰塚を案内していただきましたが、まだダムの工事が始まるぐらいですが、山々とか田んぼだとか、人間のつくった自然環境を含めての自然がまだ残っている方じゃないのか。僕が関心をもつのは自然です。自然ということとみなさんがやろうとしておられる現代アートはどういうふうに結びつくのか、ということをこれからお伺いしながら考えていきたいと思います。
田中 資料をみると、ここは自治体のほうがやる気になっている。報告書をみる限りダムのほとりの集落もあり、またいろいろな施設もできるんじゃないかと思った。来てみて私が気にしているのは、確かに計画はいいがどこまで実現するか、仮に実現しても次の問題として、計画そのままの当初の状態が維持できるか、ということです。これはデザインとか環境の問題とかではなくて単純な経済問題ですね。これについてみなさんのほうも協力してあげて、経営計画といいますか、つまりこの土地にもう一度来たいというものができるかどうか、これは理屈抜きですわ。人が来ないとここの町としては過疎化は防げない。ですからそれについての計画を、大きな環境計画としてやっていただきたいということが一つあります。つまり、どういうふうに人を運ぶのかなという問題と、どういうことを体験させるのか、それが何人ぐらいでやるのかな、それから経営試算をして、来た人々からいくらずつ何をもらえるのかな、それで計画どおりの運営ができるのかということ。それについて基本になる都市計画とか、環境学とかは、所詮自然資源の配分を決めることだけなんですね。じゃ、自然は大事だというけれども、私は去年の夏、北大の演習林をみせてもらったときになるほどこれがありのままの自然なのかと思いました。日本列島はいたるところ人間が暮らすためにそれに応じてつくりかえた自然なんですよね、それを自然と言っている。それをまためちゃくちゃに壊そうとするから地元の反対が起こる。それについてこの地域は芸術家が中心となって守っていくというのは大変いいことじゃないかと私は思っております。第一印象は──東京で中谷さんにのせられた話は別として、非常に合法的で有利に、どちらかというと中国共産党のように一歩後退、二歩前進、停滞なき緩慢なる前進ですか(場内大爆笑)──、役所と渡りあっているのは敬服いたします。これからも気を緩めることなくこの町の初期の計画通り進むよう、頑張っていただきたいと願っております。

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*  景観を守る技術やシステム
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矢吹  私は稲垣先生がおっしゃっていた話で聴いてみたいなと思うことがあるのですが。先ほど農業の話、景観云々という話、この地域は、非常に歴史的に長いですから、人の入らない自然というのは全くないのです。今の60代の方以上の方はそれを延々と続けてきた方でできるのですが、50代の方ぐらいからもうわからないことが山ほどあるんですね。実際にきちんと田んぼをつくることができるという人は少ないのです。僕なんか農村の風景は大好きで守りたいと思っているのですが、実際に今はこのあたりというのは、二種兼業農家で農業で食べている人はいなくて、ほとんどがサラリーマンで家に帰ったときに農業やっている。いまの景観が辛うじて守られているのは、大体60代、70代の退職されている方が昔ながら農業の形態を少しずつでも続けているからです。今後、50代の人が、60代、70代になったときは、今の景観は恐らくめちゃめちゃになってしまう。今の60代、70代がやっていることはもうやらなくなる。これからわれわれがどういう働きかけをしていけば、景観を守れたり、農村の社会のようなものを維持できるのか、ずっと疑問に思っておりまして、例えばシステム化していくことについて、どこかでお聞きになっていることがありましたら、お伺いしたいと思っております。
稲垣 矢吹さん(総領町役場)が言われたことは、田んぼだけではなくてあらゆる分野に通じますね。田んぼで象徴される日本の風景は、戦前まで何千年もの間続いてきた生産と生活の結果でしょうし、制度や社会や家族などのすべてがそれを支えてきた。戦後日本の景観が荒廃したということは、それを支持してきた社会システムの全部がすでに崩壊したか、しかかっているということなのでしょう。いま70代の人たちがそれを支えているとしても、その価値観を次の世代に受け渡すことも共有することも出来ない。事態はとても深刻なのだと思います。
岡崎 たとえば、山里の風景を残すために、古い民家を残していくのは、現実的にはなかなか難しい。このあたりも趣のある民家と近代的な町営住宅が風景の中に混在している。外の目からみればそれはちぐはぐな感じがするけれども、実際に生活する視点で、たとえばアースワークに関わっている青年が自分の家を探すとなると──常駐スタッフの山吹くんの借りている家は年に一回水道管が破裂しているのですが(笑)──そういう家よりは近代的な設備をもった家の方を選んでしまうといったようなレベルの判断が優先してしまうわけですね。それをどういうかたちで解決していくか。妥協策かもしれないけれども、形態外観は保存したまま、性能面においては近代住宅に負けないものに改造するというか、そんな方法も許容されると思われますか。
稲垣 住宅で伝統的なものを残しながら近代の機能を受け入れていくというのは、民家を保存しようとするときにいつも問題になるところです。だけど日本の民家ではなかなか両方の折り合いがつかないことが多いんですね。日本建築というものがどんな生活の変化にも対応できる強靱なシェルターとして造られているのではなくて、どちらかといえば、自然に順応した軽快なフィルターといったところです。一方、戦後の生活が要求している住宅の条件は、ひたすら明るくて便利で快適で、しかも隣近所から遮断された閉鎖的な生活の保障です。今の住居は大量生産・大量消費の風潮の上に乗っかって造られているので、次の世代にまで受け継がれるという期待は誰ももっていない。だから古い民家は空屋の文化財として保存される一方で、人の住む住宅は商品として提供されることになるわけです。住宅のなかの生活の質という点から見ると、長い歴史のなかで、多分いまが最低の時代だと思う。

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*  弱い技術・強い技術
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中谷  稲垣先生と岡崎先生のお話を合わせまして、お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?僕が今度大阪の長屋──全23棟のもので明治の末期以降から継続してできてきたもの、今度9月に壊されるもの──を実測をするのですが、もちろん長屋は建設当初のまま残っているわけではないわけですね。ボロボロになって改修されていますが、でも、何らかのかたちでさわりは残っている。ところがよく考えてみると、現代のプレファブ住宅が改修可能性、修理可能性、変更可能性を持っているかというと、現時点では持っていません。商品化の流れの中の一つの記号として価値が決定されている。変更しようとするときには全面建て替えです。
逆に弱い技術ということを考えられないだろうか。まず科学技術に代表される強い技術、すべての部分の意味価値が決定されている科学共同体、いわゆるテクノロジーがあります。一方で大工さんが持っているようなもの、あるいはハイヅカにいるわれわれが持っているもの、それは他との技術の関係性の様態を様々な状況に応じて柔軟に選択していって決める技術です。そうしないと生き残れない。そういう意味でそれは強い技術とは対極の技術です。柔らかい技術という言葉もありますが、これは強い技術の亜品種に過ぎません。そう考えると私は伝統の継承性、民家の継承性といったものは、恐らく古い新しいの問題ではなくて、その技術自体が全体的な訂正可能性を持ち、要は未来の予測不可能性に対して自分の技術がオブジェクト化しても、かつそれが一定の資材性を持ち得るような弱い技術である、ということがキーだと思います。そういうところをみまして、僕ははじめて文化的に民家は素晴らしいと判断を加えたい。
稲垣 中谷さんの言う改修可能性、修理可能性、変更可能性というのは、日本の技術が自然との関わりのなかで徐々に作られていったことの結果なんでしょうね。日本に限らず伝統的な技術というのは、そういうものなんだと思う。技術の歴史のなかではやはり近代が異質なので、一つの目的に対応した機能だけが追求されるけど、技術の総合性や生活との関連や永続性といったことは考慮されない、その意味で柔軟性を欠いた、中谷さんの言う強い技術になったということでしょう。
田中 応用可能なのは弱い技術。
中谷 応用可能なのは弱い技術という、僕は最近何となくそういう気がしています。
岡崎 中谷さんの言われているのは、いわゆる強い技術というのはそれを水平軸で見たときの社会情勢の生産体制に合致したもので、だけれど、その強い生産体制の方がすぐ変わってしまう。強いのは現在の適用性の問題でしかなくて、つまり変わるともう互換性がなくなって使えなくなる。けれどそれから外れているような技術のほうがフレキシビリティがあって、結局はその技術を保持しているほうがサバイバルできる。この応用可能性や適合力というのは先ほど田中先生のいわれた知恵ということなんじゃないですか。
田中 あのね、先生、僕は小僧になったのは14才ですが、20才ぐらいになるとあそこに行って仕事やってこいと親方に言われるようになる。そこでその仕事を「どうやってやるんだ」と聴くと「バカヤロ」と怒られる。仕方なく自分で何をどうやろうかとその前の夜から道具準備したりしますよね、それが25才くらいになってくると、どんと来い、やってやるぜってふうになる。修業中の10年間は仕事を頼まれると怖かったよ。それがね、次からは対象客層が違うからね、いつも同じ技能ではだめなんだ。10年たつと客層は変わるから、仕事も自ずから変わっていっちゃうんだ。小僧のときは今のように民家の屋根に銅板が蕁かれるようになるとは考えられなかった。
岡崎 あの愚問かもしれないんですけれどもね、田中先生がいわれる知識と知恵の違いですが、知識というのは、ただ同じことが反復されるというような固定化された情報、事典とか辞書とかに乗ってるものですね。ようするにこのように意味が固定化され反復できるのはシステムあるいはルールに依存しているからであって、それに対して知恵というものはそのルールを自分で考え出すような能力で、まあ自分でやり方を考え出すこと。これは教えられない。教えるというのはルールや目的が定められた上でないとできないから伝授不可能ですね 。だから怒られっぱなしでよくわからない内のほうが花で、しかしある時ポンと放りだされたとたん、ぜんぶ 自分で判断しなければならなくなる。ぱっと放りだされきづくと一番前に自分がいる。
田中 そりゃ責任の担保だよ。責任をとるかとらないかだよ。
岡崎 そうですね。判断基準を誰でもなく自分で決めていかなくてはいけないと。知識じゃなくそれが知恵になっているかどうかということは、今まで誰かに言われた通りにやっていくのではなくて、そのつどのケースによって、自分で目的も方法も組み立て直していけるフレキシビリティが問われる。今、その応用力がなくなっちゃってきているから、建物の使い方とか改良の仕方とかの 技術が全くなくなっていますね。今の学生は、知恵の伝授に、つまりある日 突然全部おまえ決めろとなったとき、誰も頼りにできないといなるとそれをみんな逃げちゃう。全然参照源もない、はっきりした規範もシステムもないところで、どうやってそれを立ち上げていくか。こうした場面を逃げていては何もできないですね。

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*  風景を決裁する主体
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野々村  稲垣さんがご指摘なさったことで非常に重要なことがあったと思います。それは「風景」の問題だと思います。それは例えば美術の世界でもあるいは庭園学でもあると思うのですが、「自然」というものは自然としてあるのではなく、むしろ観る側(個人、主体)なりその集合体たる社会の主観によって、つまり、あるがままにではなく絶えず時代の要請や背景に応じて、変わってきたと思うのですが、そういう意味では先生が話されていました日本の原風景と言われているものに対して一体どこで決裁してゆくのか、ということがあります。幾つかの先行事例とか、先生のお考えとしてのこうした場所での風景の役割、あるいはコミュニティにおける風景の役割について何かお考えがありましたら‥‥。
中谷 すべての決め方がある種の決裁だとすると、すべての風景は原風景にはならないという今の野々村さんの話からするとそうなりますか。
岡崎 どの時点の風景を原風景とするか決断するということを含めて決裁といっている。
野々村 そうですね、調停というか、自然と人間とかコミュニティの、記憶の在り方とか生活とか‥‥。
稲垣 建築家の原広司さんが24、5年前に集落の調査をしています。僕らもちょうど日本の集落・街並みに随分と熱中した時期でもありますが、彼はアンデスとかサハラ砂漠とかの僻地ばかりジープで回って、たくさんの集落をものすごいスピードでみている。それを本にまとめているのですが、そのなかで、彼が指摘していることですが、集落が感動的なのは、生産の空間をなかに含んでいるからだろうと。それに対して現代では、生産のために誘起されるはずの自然の潜在力が計画にのぼってこない、といっています。日本も同じで、日本の民家が力強いのは併用住宅で、純粋の住宅ではないからですね。
田中 店舗や作業場と一緒ですね。
稲垣 住宅のなかで働く空間を含むことによって民家は「健全さ」を保ってきた。先ほどの自然との関わりということから外れるかもしれませんが、人間も自然の一部だということでしたら、そういうことではないでしょうか。
野々村 それからもう一つお伺いしたかったことがあります。先ほど中谷さんが言われてましたように「強い・弱い」の比喩ということもありますが、今まで強いと思っていたもの、コンビナート方式は、未来に対する予測不可能性、未来はこうであるとリジッドで決めてそこのある生産性を前提に決められているわけですね。今先生がおっしゃったことで言うと、昔の生産の形態と住居が折衷、共存であったということと大きく言えば関係していることだと思うのですが、はっきり露骨に言えばエコノミクスの問題をもっと考えなければならないと思うのです。それも含めて、世代間の伝承なり美術(あるいは建築)教育の問題も全部入ってくるような一つのサーキュレーションを考えてゆくような土台に、この灰塚がなるのか、ならないのかというところに僕は興味があるのですが、岡崎さんはどうお考えですか?
岡崎 風景をどういったふうに決裁するかということにも関係がありますが、たとえば自然の中に家をつくるということは、当然自然の中に人間の文化が介入することです。いや人間の文化の中に取り込まれえた自然しか、自然として残されえないという事が真実かもしれませんが。それで稲垣さんのいわれた原さんは、自然に対する介入を止め、なお人間の要求する居住性能を維持したいというときに、たとえば100メートル立方のキューブに人間、つまり都市を詰め込んだ方が効率がいいと。人が密集したほうがエネルギーのロスはへり、結局は自然に対する介入も少なくなると、こんな極端なことをいっていますね。今の暮らしというかエコノミーの部分をいれて考えるとですね、さっきの弱い技術の話ではないけれども、里山というか、かつての自然と共生している(折衷式の)生産形態が不利になってしまうわけですね。そういう文化の保存はあきらめるべきということになってしまうのかどうか。たとえば、その里山といわれている生活形態は、木がたとえば炭の材料として適 当に間抜されることによって森が維持され、そして一定に生態系が保たれる。そういうモデルがかつての風景を保ってきたということがあります。風景を守ろうとしたわけでなく、人間の生産様式の必然と都合が自動的に自然状態の安定に繋がっていた。ところがそれと同じ生活の基盤、生産様式がもうない。それまではいつのまにか下草を刈っていたのが、 今では自然を守るために草をからなくちゃならない、非常に能率の悪いことになってくる。そういう問題があります。それでも敢えて保存しようとすると、ここをテーマパークにするしかなくなる。全く肩書きもなく、この景観だけ民家の形がいいということで守らなければならない。それで経済的になんとかなるか、やっていけるかとなると、入場者なんて考えるとすごくあやしいものになる。最適な答えはまだないとも思うのですが。そうであるならば、中途半端に折衷するぐらいならば、いっそ極端にそんな中途半端な家を皆壊してしまってみんなホテル暮らし、まとまって一つのビルに暮らせばいいと、個々の人間がそれぞれの家をかってきままに管理するのではなく、きちっとデザインをした大きな建物で一括して人間を収容してしまったほうがいいと。景観も自然と人間のサイクルが結局テーマパーク的にしか保持できないんだとすると、こういう全体主義みたいなイメージにいってしまうんでしょうか。ただのロジックだけでやるとね、そういうことになる。どうもその辺の理屈というのは、京都駅の原さんのビルもそんな感じがしないわけではないけれど。風景の全体を見渡そうとしすぎると極端なことになる。

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*  弱い技術・強い技術
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田中  僕ね、この地域はりっぱな計画をもっているが、生き残るにはすきまの産業を起こす必要があると思う。一次産業、二次産業、三次産業はありますが、一・五次産業、二・五次産業、三・五次というのもあってもよいでしょう。基本になるのはね、人なんだよね。人つくりはあんまりお金かかりませんよ。仕事ってのはそういうもんだよ、仕事は楽しくやらなきゃならない。
野々村  一・何次産業といった場合に、この灰塚モデルにおける芸術家の役割というのは一体、何・何次産業なのかというようなことをお聴きしたいのですが。
田中 僕は便宜上中間があるよ、と言ったんです。僕の仕事でいいましょうか。ここに山に木を植えて育てる仕事がある。その隣にこの木から材料を取り出す人がいる、その隣に建築屋がいる。そしその家に住む人がいます。この人たちの生活を守るためサービス業があります。例えば水道・電気・ガス、行政、病院も警察も。その家に住む人の借金はローンで30 年です。われわれ建築屋は、10 年保証すればよい。材木屋は一年に2回商売できますから、6 か月だね、山林業というのは、青森・ヒバだったら250 年、ここら辺だと70 年でしょ、平均とって100 年だね。サービス業の人は三交代で分刻みだよ、これが一緒になってはじめて建築ができんのよ。違う、それぞれの分野には、学問があるんだよ、山林経済学とか、住居学とか、建築学とか、これは家政学になるよね、経済・法律、憲法があるよね。ただし学問はあるがそれぞれの持っている時計が違うんだ。それを統一するには、各々隣の分野をよく知っているか。建築のことは建築雑誌である程度はわかるかもしれない、それとは違うんだ。こういうふうに五角形でね、俺はね今真ん中の仕事をやってるんだ。ある時は、材木屋脅かして、ある時は自分も職人と一緒に仕事して施主を脅して、役所をごまかすか、している。この分野が一番儲かるところなんだ(笑)。
野々村 そこが一番効率よく経済が回転してゆくところ‥‥。
岡崎 いや、効率じゃなくてさ。個々の産業みんなちがう時間スケール、リズムで動いている。にもかかわらずそれぞれ他の産業と棲み分けつつもどっかで調子を合わせている。この調子のところだけ見ると効率にも感じるけれど、ほんとはみんながズレてるから、この効率の悪さから創造性も儲けもでてくる。ちょっとどこかがおかしくなると、みんな次々おかしくなる。こうして、たがいの依存のしかたは順々に変っていかざるをえない、リズムのとりかた、合わせかたがずれていく、ずらされていかないと帳じりが合わなくなるというのかな。
田中 みな隣をみなきゃいけないよ、対岸をみなければいけないよ。みんな自分の中だけで考えてもどうにもならんよ、と俺は思う。
中谷 今日はじゃ、とりあえずここで一旦終わりにしましょう。お二人を連れてきてよかった(笑)。ご清聴ありがとうございました。
一同 拍手


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