ビオトープと芸術・文化
1999年8月3日(月)
ふるさとセンター田総(総領町)
講師:岡崎 乾二郎(美術家)
■□ 概論:ビオトープと芸術・文化
ビオトープと呼ばれる環境形成の手法の核心は、境界確定の多元性にある。ひとつの境界線で一元的に環境を区切るのではなく、なるべく多くの異なるカテゴリーによる複数の領域確定をひとつのエリアに多元的に重ね描きするのである。例えばこういうエリアには、確定的な川の境界というのは存在しない。条件の変化によって、そのつど川はその姿をかえる。早い流れ、淀み、止水。湿地。乾燥した地面。異なる多くの種類の空間を用意することは結果的に、多くの異なる種類の生物に棲息可能性を与えることにつながる。環境に可変性を与える手法という意味で、この概念はサイト・スペシフィックの反対に位置する。(岡崎乾二郎、「彫刻の支持体」、『武蔵野美術』、107号、 武蔵野美術大学出版編集室・編:光琳社 1998年1月 、p.58-67。)
景観を保全するという理屈と、自然を保護するという理屈は全く違う。景観を保全するというのは、自分にとっての都合のいい美しい風景を残すということであり、極端にいえば富士山の形が放っておくと平らになってしまうからコンクリートで固めるというようなものである。だとすれば逆に、自然保護とは人間がいっさい入れないサンクチュアリをつくればいいという単純な話になってしまう。そうすることで自然が前より豊になるかといえば、必ずしもそうではない。ビオトープに関していえば、放っておけばビオトープ化していくというのではなく、意図的にビオトープをつくったほうがいいと「選択」をすることが重要である。この考え方で一番説得力を持っているのは、環境の可変性に対する対応力を維持しておくというところである。今の世の中ではある生物が一番有利だとしても、全体の生態系が変化すると、かつてマイノリティだった生物が有利になるかもしれない。環境自体の可変性に対応するには、なるべく多くの生物を生存させておいた方がいい。
芸術家というものは、多生物の中でのマイノリティにあたる。われわれがここでやっている様々な活動は、文化というものが、なるべく多くの可能性を維持していくことによって発展するという考え方に基づくものである。だから芸術文化圏の形成にあたっては、ビオトープがひとつのモデルになる。誰にもわからない哲学をしている哲学者とか、誰にも理解できない複雑な数式を考える数学者といった人がいなければ文化は成り立たない。個々人が共同体に属しながら、それとは全く別なことができる自由度を持てる、ビオトープ的な状況をつくりたい。


CONTENTS   PREV NEXT