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.  アンチ・イリュージョン Anti Illusion : procedures / materials
  1969年ホイットニー美術館で開催。キュレーターはマーシャ・タッカー。出品作家はいわゆるプロセス・アートの作家たちを中心とするメンバーで、ロバート・モリス、リチャード・セラ、エヴァ・ヘス、ブルース・ナウマン、ジョエル・シャピロ、リチャード・タトル、カール・アンドレ、ロバート・ライマンなどのほか、スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスといった音楽家たち、あるいはマイケル・スノウのような映画作家も含まれていた。タッカーの展覧会コンセプトは明快で、展覧会タイトルにそのまま表われている。イリュージョンに反対すること。これはイコール「現実=リアル」の追求である。
参考:「art words 現代美術キーワード」 [「反イリュージョン - 手続き/材料」展]

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.  アーキグラム Archigram
  1961年に雑誌『アーキグラム(Archigram)』1号を創刊し、60年代に活躍したイギリスの建築グループ(1961-1974)。メンバーは、ウォレン・チョーク、ピーター・クック、ロン・ヘロンら6人から成る。これまでの建築にはない大胆でポップな表現方法、社会状況や技術の直接的な引用を試み、さらに次々に発表された楽観的なテクノロジーのユートピア計画によって建築界の注目を集めた。ロン・ヘロン考案の「ウォーキング・シティ」(64)─ 巨大構築物に8本の脚がついているそれ自体が移動可能な都市 ─、ピーター・クックの「プラグ・イン・シティ」(64)─ ユニット化された諸機能が差し込み式のプラグのように取り外し可能な都市 ─ などが代表的な作品である。(玉井)
参考:「The 20th Century Matrix」 [アーキグラム]

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.  「建築家なしの建築」展 Architecture Without Architects
  1964年9 月、ニューヨークのMoMA で開催された展覧会。1925年にグロピウスによって提唱された「国際建築」というカテゴリーに対して、建築家のバーナード・ルドフスキーは、この展覧会でアジアの民家や穴居住居をとりあげ、「風土的(vernacular)、無名の(anonymous)、自然発生的(spontenous)、土着的(indigenous)、田園的(rural)」建築とよんだ。(玉井)
参考:バーナード・ルドルフスキー著、渡辺武信訳、『建築家なしの建築』、鹿島出版会、1984年

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.  アーツ&クラフト運動 Arts and Crafts Movement
  イギリスの美術工芸家ウィリアム・モリスにより始められた運動。機械によって大量生産される低質な製品を否定し、中世以来の手工芸技術を擁護した。1861 年モリスは建築家やラファエル前派の画家らとともに、モリス・マーシャル・フォークナー商会を設立。建築から家具、絵画、ステンドグラス、壁紙に至る広範なデザイン活動を行なった。自然から抽出されたパターンによるデザインや、総合芸術的な姿勢など、後のアール・ヌーヴォーやドイツ工作連盟などに影響を残した。
参考:「The 20th Century Matrix」 [アーツ・アンド・クラフツ]

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.  東 浩紀 AZUMA, Hiroki
  1971年東京都生まれ。東京大学総合文化研究科修了。学術博士(哲学・表象文化論)。日本学術振興会特別研究員。著書に『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』、新潮社、1998年。評論集『郵便的不安たち』、朝日新聞社、1999年。
灰塚アースワークプロジェクトにもサマーキャンプの通訳として1995年に参加している。

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.  アルフレッド・バー・ジュニア BARR, A. H. Jr.
  アメリカの美術史家で、ニューヨーク近代美術館の初代館長(1929- 67)。モダニズムの歴史に対する彼の貢献は二つある。第一に、彼が設立したこの美術館は、世界でも傑出した近代美術のコレクションとなった。第二に、著書『キュビズムと現代美術』(Cubism and Modern Art, 1936)にもっとも鮮明に表れているように、モダニズムの発展について彼の解釈はほぼ規範に近いものとなり、過去を明確にしたばかりではなく、20世紀美術の将来の予測までを含んでいた。
参考:ポール・デューロ マイケル・グリーンハルシュ著、中森義宗 清水忠共訳、『美術史の辞典』、東信堂、1998年、p.271

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.  バウハウス Bauhaus
  1919年、ドイツのワイマール市に開校された、造形芸術学校。初代校長で建築家のW・グロピウスは、「生活機能の総合場である『建築』のもと、彫刻・絵画・工芸などの諸芸術と職人的手工作など一切の造形活動を結集して、芸術と技術の再統一を図る」という教育理念のもと、新しい教育システムを実施した。教授陣としては、画家のW・カンディンスキーやP・クレー、J・イッテンやモホリ=ナギ、陶芸家のG・マルクス、そして舞台芸術家のO・シュレンマー等がいた。デザイン運動のひとつの頂点を形作ったものとして高く評価されており、グラフィック・デザインおよび家具デザインの分野にその成果が認められる。26年には、グロピウス自身が設計したデッサウの校舎に移転。近代工業が発展しつつある当時において、その生産形式・生活様式に応じた芸術のあり方を示した。その後、校長はH・マイヤーを経てミース・ファン・デル・ローエに代わるが、33年にはナチスの圧力でその幕を閉じてしまう。その後もその理念はシカゴの「ニュー・バウハウス」における運動とドイツのウルム造形大学におけるデザイン運動へと継承されていった。
参考:「art scape;art words 現代美術キーワード」 [バウハウス]

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.  ブルータリズム Brutalism
  1950年代に擡頭した建築家たちの作品にみられる新しい傾向。第2次大戦後、新折衷主義や新アール・ヌーヴォーと呼ばれる造形主義化した近代建築に反抗し、機能主義原理への復帰、非形式主義を唱え、材料や設備をむき出しのまま表現するのを特色とした。建築にブルータル(獣的・残酷)な活力を主張し、CIAM(近代建築国際会議)の規定した近代建築を踏襲し続ける先代を批判し乗り越えるため、機能や構造を論じながら既に慣例化した近代建築の手本を打開することから出発したものである。(玉井)
参考:「The 20th Century Matrix」 [ブルータリズム]

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.  分離派(分離派建築会)
  日本の近代建築運動の先駆をなすグループと言われる。1920年、東京帝国大学建築学科の石本喜久治、滝沢真弓、堀口捨巳、森田慶一、矢田茂、山田守の6学生が、卒業直前に大学構内で習作展を開いたことにはじまる。同年7月、日本橋白木屋で第1回作品展を開催、作品集をも刊行。1928年の第7回展までに3冊の作品集を残している。同人に、蔵田周忠、大内秀一郎、山口文象らがいた。(中谷 礼仁)

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.  クリス・バーデン BURDEN, Chris
 
© Tate Gallery 1999
MORRIS, Frances "Chris Burden When Robots Rule : The Two - Minute Airplane Factory", Tate Gallery, Millbank, London,1999.
  BURDEN   BURDEN
  その他の作品には、自らの左腕をライフル銃で撃たせた「 SHOOT」(1971)や、天井に作られた棚の奥に作家自体が横たわり、画廊内のどこから見ても作家は発見されず、また作家自体も観客を見ることができないまま、展覧会会期が終わる「White Light/White Heat」(1975)など。

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.  シカゴ派のラーメン構造、シカゴフレーム 
  建築では、柱梁で構成され、鉄骨、鉄筋コンクリート、鉄骨鉄筋コンクリート造で最も多く使われる構造形式。柱・梁の各部材が接合部で剛に接合されているもののこと。19世紀後半から20世紀にかけて鉄骨、鉄筋コンクリート、鉄骨鉄筋コンクリート造が完成した。ウィリアム・レ・バロン・ジェンニイのホーム・インシュアランス・ビル(シカゴ1883 −85 )が代表的な建物。(独)Rahmen : 枠、縁。/ フレーム。(玉井)
参考:「建築用語大辞典」[ラーメン構造]

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.  コンセプチュアル・アート Conceptual Art
  「概念芸術」というその直訳の通りに、作品の物質的側面よりも観念的側面を重視した一連の作品群のこと。文字や記号による非物質的な表現がその代表例だが、「パフォーマンス」や「アースワーク」の記録写真などを含めることもある。6年にH・フリントが命名し、S・ルウィットによって一般化されたこの傾向は60年代の半ばから70年代の前半にかけて、それまでの支配的な動向であった「フォーマリズム」や「ミニマリズム」に対する反発として噴出したのだが、その底流には今世紀初頭のダダイストやM・デュシャンによる近代芸術観批判の影響も指摘される。その最初期の実践は「フルクサス」に認められ、J・ボイス、J・コスース、D・ビュレンヌ、河原温らが代表的作家に挙げられるが、全世界的規模で長期にまたがる「コンセプチュアル・アート」の対象範囲は極めて広く、今日では「ニュー・ペインティング」や「シミュレーショニズム」をもその範囲に含める解釈さえなされている。
参考:「art scape;art words 現代美術キーワード」[コンセプチュアル・アート]

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.  サイバネティックス Cybernetics
  創始者はアメリカの数学者ノーバート・ウィナー(1894-1964)。彼の著書『サイバネティックス 』は1948年に出版された。この語の語源はギリシア語の「舵手」を意味するkubernetes に由来する。制御(コントロール)、通信(コミュニケーション)などの過程に関し、従来生物学、工学などで個別になされていた研究を関連づけ、広い展望のもとでその推進を図る総合科学。人工知能やロボット工学などと同一視されがちだが、フィードバック制御をはじめ、自己安定性、目標探求、進化、自己組織化、学習など、生命や知性への本質的なテーマを中心に広い分野と関わる学問である。ウィーナーの著作で日本語で読めるものとしては、池原止戈夫・彌永昌吉・室賀三郎・戸田巌訳、『サイバネティックス ― 動物と機械における制御と通信 ―』(第2版)、岩波書店、1962年、などがある。(玉井)
参考:木田 元 栗原 彬 野家啓一 丸山圭三郎編、『コンサイス20 世紀思想事典』(第2版)三省堂、p.400、[サイバネティックス]

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.  デュシャン DUCHAMP, Marcel
  1887−1968。ダダイスムの推進者であり、その精神の最も徹底的な体現者。1887年、フランス・ノルマンディー地方に生まれる。兄妹と共に造形芸術に携わり、セザンヌやフォーヴィスム、キュビスムの影響を受ける。1913年「階段を降りる裸体」をニューヨークの「アーモリー・ショー」に出品、スキャンダルを起こす。第1次世界大戦以後ニューヨークを定住地とし、反芸術の記念碑「大ガラス」、既製品を使用した「レディ・メイド」を制作。1917年、便器を転倒させた作品「泉」をニューヨークのアンデパンダン展に出品、拒絶される。以後、沈黙の中、チェスや映画など無数の試みを続け、その生涯の偉大なる疑問符ぶりは晩年の作品、騙し絵風のオブジェ「1. 水の落下、2. 照明用ガス、が与えられたとせよ」にも受け継がれている。
参考:「The 20th Century Matrix」 [マルセル・デュシャン]

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.  アースワーク Earthwork
  もともとアースワークとは、山や川、大地など自然そのものを素材として展開される芸術活動で、1960年代末から70年初頭にかけて、アメリカ南西部のテキサス、ネヴァダ、ニューメキシコなどの砂漠地帯で集中的に始められた新しい芸術の形態です。
当初、水に浸からない広大な高水敷エリアに、アースワーク作品を作り出すことで、これまでにないダム周辺整備をしてみようということで、アースワークプロジェクトとして開始されました。しかし、ダムだけでも異物が持ち込まれるのに、更にわからないものが作られるということに対し、地元からの反発もありました。そこで、サマーキャンプ、ワークショップ形式でアースワーク(現代美術・芸術)について、普及しながら、地元の方々にも係わりを持ってもらおうとしました。この発想が、大きく拡大し、現在では単なる大地の芸術という意味合いだけではなく、より広義の芸術文化活動、ダム事業の統一的な整備に繋がっています。(山吹)

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.  フィッシュリ・アンド・ヴァイス FISCHLI, Peter &WEISS, David
  ピーター・フィッシュリは1952年、ダヴィッド・ヴァイスは1946年、ともにスイスのチューリヒに生まれで、チューリヒを拠点に活動するユニット。フィッシュリは、1975-77年イタリアのウルビーノとボローニャの美術アカデミーで学ぶ。ヴァイスは1963-65 年、チューリヒとバーゼルの美術学校で学び、79年から2人で共同制作を始めた。81年、チューリヒの画廊での個展を皮切りに欧米各地で個展を開催。87年と97年のミュンスター彫刻プロジェクト、89年のサンパウロ・ビエンナーレ、97年のドクメンタ10 にも出品。主な作品は "The Way Things Go"(「事の次第」ビデオ作品 1987)。97年の彫刻プロジェクトでは、かつて植物園だった場所を家庭菜園に変えた。(玉井)
参考:「art scape; art words 現代美術キーワード」 [フィッシュリ・アンド・ヴァイス]

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.  ダルマガエル  FROG
  トノサマガエルに似ているが、足が異様に短く、その形がダルマのようなので、その名がついた。灰塚ダム建設によって絶滅が心配されている両生類である。
足が短いため、ジャンプ力がなく、深い溝などへ落ち込むと上がれなくなってしまう。コンクリートでは足を滑らし、動けなくなる。ダルマガエルにとって小さなU字溝は「死の谷」、道路は「砂漠」となるのである。

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.  グリンバーグ「アバンギャルドとキッチュ」 GREENBERG, Clement
  GREENBERG, Clement "Avantgarde and Kitsch", Art and Culture: Critical Essays, Beacon Press, Boston,1965;1978.
クレメント・グリーンバーグ著、瀬木慎一訳、「アバンギャルドとキッチュ」、『近代芸術と文化』 (芸術論叢書)、紀伊国屋書店、1965 年、に所收。

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