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.  リチャード・ハミルトン Hamilton, Richard
  1922年ロンドンに生まれる。ロイヤル・アカデミー・スクールズで絵画を学ぶ。スレード美術学校(ロンドン)に学ぶ。ダラム大学キングス・カレッジで基礎デザインを教え、講義を行う。1956年ホワイトチャペル・アート・ギャラリーで開催の「This is Tomorrow」展を企画。コラージュ『一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか』を完成。「 ポップ・アート」の創始者とされている。(玉井)
参考:「The 20th Century Matrix」 [ポップ・アート]

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.  原広司 HARA, Hiroshi
  1936 年神奈川県生まれ。代表作:田崎美術館、ヤマトインターナショナル、飯田市美術博物館、梅田スカイビル、京都駅ビル。主要著書:『建築に何が可能か』、学芸書林、1967年。『住居集合論1-5』、鹿島出版会、1973−79年。『空間<機能から様相へ>』、岩波書店、1987年。『住居に都市を埋蔵する』住まいの図書館出版局、1990年。世界中の集落の調査をまとめた著書は、『集落への旅』、岩波新書、1987年(玉井)

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.  堀口捨己 HORIGUCHI, Sutemi
  1965年(明治28 )岐阜県生まれ。1920年「建築非芸術論」に代表される工学技術への傾斜に抗し、山田守らと分離派建築会を結成。代表作は大島測候所、若狭邸など。また、明治以前の日本人の造形力の成果を茶と茶室に見出し、その研究を『利休の茶』『利休の茶室』などにまとめる。(玉井)

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.  インスタレーション(→インスタレーション・アート) Installation Art
  インスタレーション・アートは1970年代から盛んになった。インスタレーション(設置物)とは、場所を特定する美術作品で、美術館や屋外の場所に置くために制作される。個々の美術作品を展示する場所が、単なる中立的な背景になっている(伝統的な吊り下げの方法がそうである)のとは異なり、設置した作品を構成するさまざまな要素の集合が、選ばれた場所と影響し合うように配置されており、体ごとの美術空間の中に入っていくような感覚を鑑賞者に提供する。このジャンルの実作者としては、ヨゼフ・ボイス、クリスチャン・ボルタンスキー、ハンス・ハーケ、ドナルド・リプスキーがいる。
参考:ポール・デューロ マイケル・グリーンハルシュ著、中森義宗 清水忠共訳、『美術史の辞典』、東信堂、1998年、p.69

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.  伊東豊雄 ITO, Toyoo
  1941年生まれ。菊竹清訓建築設計事務所入社後、1971年アーバンロボット設立、1979年伊東豊雄建築設計事務所に改称。風や皮膜をメタファーにした建築をつくっている。代表的な作品は、「シルバーハット」、「中野本町の家」、「仙台メディアテーク」。

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.  ロザリンド・クラウス KRAUSS, Rosalind.E.
  KRAUSS, Rosalind.E."Sculpture in Expmaded Field.", October, no.8, Cambridge, spring 1979.
邦訳: ロザリンド・E・クラウス著、「彫刻とポストモダンー展開された場における彫刻」、ハル・フォスター編、室井尚 吉岡洋訳、 『反美学』、勁草書房、1987年;ロザリンド・E・クラウス著、「展開された場における彫刻」、小西信之訳、『オリジナリティと反復』、リブロポート、1994年、に所収。

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.  桑原武夫の第二芸術論 
  桑原は、論文「第二芸術論 現代俳句について」(『世界』、岩波書店、1946年11月号)で、当時のプロ10名とアマ5名の俳句の作品を無作為に並べても、その優劣の違いを「一般人」は見極められないとした。俳句は普遍的な享受を前提とする「第一芸術」ではなく、また文学とは言えない「第二芸術」とでも言うべきものだということが彼の主張であった。これを発端に、46年から47年にかけて提出された、短歌・俳句を否定的に論断した複数の著者による一群の論文を指して「第二芸術論」と呼ぶこともある。
本としてまとめられたものには、桑原武夫『第二芸術論 現代日本文化の反省』、河出書房、1952年、など。(玉井)

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.  ル・コルビュジエ Le Corbusier
  スイス生まれで、フランスで活躍したル・コルビュジエは住宅を「住むための機械」と表現し、立方体や円柱といった幾何学的形態を用いてドミノ住宅を発表し、その考えをやがて公共建築から都市計画へ拡大し、モダニズム建築を確立した建築家として知られている。(1887 - 1965 )。
参考:「The 20th Century Matrix」 [ル・コルビュジエ]

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.  マレビト 
  国文学者・民俗学者の折口信夫の中心概念の一つ。もともとはまれにしか訪れてこない異郷の人のことであるが、折口は古代人がこうしたマレビトを歓待したことに注目、古代人はマレビトを他界(常世)から来訪して人びとを祝福する神の権化とみていたと指摘、マレビトには異郷からの来訪者であるとともに、他界からの来訪神であるという二重の意味が付与されている。マレビトの来臨の実演が祭りであり、発する言葉が祝詞、呪言(のろいごと)である。(玉井)
参考:木田元 栗原彬 野家啓一 丸山圭三郎 編、『コンサイス20世紀思想事典』(第2版)三省堂、p.839, 842

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.  ゴードン・マッタ=クラーク Matta-Clark, Gordon
  ニューヨーク生まれ(1945-78)。建築を学んだ経験を持つ彼は、構築という行為に挑戦する。数多くの作家からなるアナーキテクチャーというグループを結成し、建築の破壊的なアプローチをとるマッタ=クラークは、切り出しという方法で、発展と衰退を繰り返す都市の環境を可視化する。主な作品には、使われなくなった廃屋に垂直に切れ目を入れた「スプリッティング」(1974)、ポンピドー・センター建設の計画の進行過程をみることができるように取り壊される二棟のタウンハウスにまたがってつくった円錐「コニカル・インターセクト」(1978)などがある。(玉井)
参考:野々村文宏著、「新・展示の技法」、季刊『武蔵野美術』104号、光琳社、1997年5月、p.42-49

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.  ハンネス・マイヤー MEYER, Hannes
  1889年スイスのバーゼル生まれ、1954年没。反美学的、急進的な機能主義を標榜した左翼建築家として知られる。1924年バーゼルでラースロー・モホリ=ナジ、ハンス・シュミット、マルト・スタムらとともに左翼建築家のABC グループを結成。28年ヴァルター・グロピウスの後を継いでバウハウスの校長になる。30年校長解任後ソヴィエトに渡り、39年スイスに帰国後メキシコに亡命。代表作に「国際連盟コンペ案」(1927)など。
参考:「The 20th Century Matrix」 [ハンネス・マイヤー]

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.  「インターナショナル・スタイル」展 Modern Architecture: International Exhibition
  1932年マンハッタンで建築史家のヘンリー=ラッセル・ヒッチコックとフィリップ・ジョンソンが監督を務めた展覧会。ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウスなど近代建築のデザインの特徴が、全世界のコンセンサスの基盤となったことを実証しようと試みた。この様式の建築物の特徴は、単純な立方体で平らな屋根をもち、全体が連結した方式である。カンチレバー(片持ち梁)のコンクリート製の床によって、外壁の面積を少なくし、ガラス張りの壁になっている、というものである。
1932年に出されたカタログについて、日本語で読めるものとしては、H・R・ヒッチコック+P・ジョンソン共著、武澤秀一訳、『SD選書139 インターナショナル・スタイル』、鹿島出版会、1978年、がある。(玉井)
参考:「The 20th Century Matrix」 [近代建築:国際展覧会(「インターナショナル・スタイル」展)]

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.  モミジ3600本の話 
  ダム事業用地内の福山城跡のある山を、モミジで真っ赤にしようというアイデアが住民の間で出てきて、実施に移されたもの。のぞみが丘の2001委員会のなかでこの計画が提案としてまとめられ、同時に進めていた三良坂地区ダム周辺整備提案業務へ反映され、99年度から2001年までの3年間で福山城全体にモミジの苗を植えることになった。
ダム関係の工事場所の法面に、周囲の山から飛んできたモミジが芽吹いているのを見つけた地元の人が、それを採取して苗木に育てていたことがきっかけとなり、現在は福山城だけでなく、サクラやイチョウなどを植えて、ダム湖のまわりを四季折々の色で彩ろうという話に発展している。(三良坂町企画課 伊達 浩史)

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.  ノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義) Neue Sachlichkeit
  特色は「物に即して」。表現主義運動の反動として起こったとされる客観性や機械性を中心とした第一次大戦後のドイツで起こった美術運動。民主主義のワイマール共和国が成立したが、実際には巨額の賠償問題、インフレなどを抱え、1920年代数年後に人々のあいだから希望は消滅した。作家は、そのような状況の中で、悪徳商人や娼婦、労働者や貧民をモチィーフとして取り上げ、社会的不安やひずみを徹底的なリアリズムで表した。1923年、マンハイム・クンストハレの館長G・F・ハートラプがこれらの作品を集めた展覧会を組織。冷徹な観察行為によって現実のなかに潜む魔術的な瞬間を浮上させるその即物的な対象把握は、「魔術的リアリズム」とも呼ばれた。主な作家はゲオルゲ・グロス、オットー・ディクス、マックス・ベックマン、ゲオルク・シュリンプなど。(玉井)
参考:千足伸行監、『新西洋美術史』、西村書店、1999年、p.432-433

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.  ピクチャレスク Picturesque
  18世紀のイギリスで生まれた風景式庭園。語源はイタリア語の pittoresco で「画家の眼に従って」という意味。風景画家たちが、自然の事物をタブローの上に再構成しているのを手本にして、自然の要素を荒々しく不規則に構成しなおした。歩くにつれてまさに一幅の絵のような風景が目の前に現れてくるような配置をとる。ピクチュアレスク美学は庭園のみならず、建築や建築群までにも応用され、都市公園に導入された。(玉井)

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.  ポップ・アート Pop Art
  ポップ・アートは、1950年代から1970年代にかけて、主としてイギリスとアメリカで盛んであった。そのイメージと技法の多くの源泉となった範囲は、広告、商品包装、そして、漫画本・ポピュラー音楽の人気者・映画アイドルなどを含む大衆文化であった。かくて、批評家ローレンス・アロウェイの造語である「ポップ」という名称は、その主題、用いられる技法、それらの美術家が期待する観衆などを同時にまとめて指している。第一に、ポップ・アートは、美術に関する伝統的な概念との訣別の試みであり、たとえば高級芸術と低俗芸術とのあいだの区別を拒否した。それは、当時優勢であった抽象表現主義者たちのあまりにもペインタリー(絵画的)な傾向がまったく疑問視しなかったことであった。(…)ポップ・アートは、純粋美術の容認されている基準の多くに疑問を投げかけたばかりではなく、表現の本質も探求した。ポップ・アーティストの中にはこの機を利して大量生産の技術を取り入れた者もいたし、一方、ウォーホールのコカ・コーラの瓶のように直接模倣する者もいた。
参考:ポール・デューロ マイケル・グリーンハルシュ著、中森義宗 清水忠共訳、『美術史の辞典』、東信堂、1998年、p.342-343、[ポップ・アート]

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.  パブリック・アート Public Art
  芸術作品というものは、いかに主観的で個人的なものであっても、そこになんらかの普遍性を主張できるものでなければならない。芸術家は己の作品を、自分に所属するのではなく外的なものとして扱う。つまり、作品は作家の主観にもとづくものでありながら、その価値において公的なものとして扱われるべきである。なぜそのようなことが成り立つのかについては、慎重な考察が必要である。もし芸術が公共的な同意を無条件に含むのであれば、芸術(Art)という言葉に対して、さらにパブリックをつけるのは同語反復的であろう。パブリック・アートにおいて「パブリック」として想定される対象は、その時々のいわゆるマッスとしての鑑賞者である。ある作品に対し、社会的同意が成立するか(必要か)どうかという問題は、芸術の質とは無関係の問題にも介入され、根本的には未決である。だからこそパブリック・アートなる概念が発生しているのである。パブリック・アートの議論では、歴史的な時間感覚にもとづいて考えることが必要である。しかしながら、現在における議論は多分に状況論的な様相を呈し、その点に関する考察が不十分である。時勢の会話条件のみで作品の公共性が判断されているということが、そもそも問題なのである。(布施)

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.  リージョナリズム Regionalism, Regionalisme
  美術では、この言葉は第二次大戦前と戦後で異なった使われ方をしている。まずはじめに1930年代半ばから大戦にかけては、モダニズムを拒否した画家たちを指していた。彼らは国家や家庭に忠節をつくす保守派と見られていた。次にニューヨークが美術界の中心となった戦後は、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴなどのニューヨーク以外の他の都市を中心に活動する作家に対して使われる言葉となった。しかし、即時的なコミュニケーションが可能になった現在、物理的な「中心と辺境」といった考え方は意味を持たなくなってきている。
建築では、一元化した合理主義的な建築に対して、主に地域的な要素と「テクトニック」という概念を導入し、反動と批判を表しているものを指す。アレクサンダー・ツォニストやリアンヌ・ルフェーブルが提唱し、批評家のケネス・フランプトンが「批判的リージョナリズム」という言葉を流布させた。環境への融合、「ゲニウス・ロキ」の尊崇、伝統への顧慮、自然主義、設計への心理的・心情的要素の導入、建設行為の人道主義的理解、そして無形式を標榜する建築、などが当てはまるが、モダニズムが拡張し内破した現在、これらの動きを一言でまとめるのは不可能である。ケネス・フランプトンの論文で日本語で読めるものは、「批判的地域主義に向けてー抵抗の建築に関する六つの考察」、ハル・フォスター編、室井尚 吉岡洋訳、 『反美学』、勁草書房、1987年に所収。南泰裕訳、「テクトニック、という視座をめぐる省察」『10+1』no.16、INAX出版、1999年、p.128-153、など。(玉井)
参考:ロバート・アトキンズ著、杉山悦子 及部奈津 水谷みつる訳、『現代美術のキーワード「アート・スピーク」』、美術出版社、1993年、p.134、[リージョナリズム];「The 20th Century Matrix」[リージョナリズム]

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