.  境木 Sakaigi
  「境木」とは山の地割りを行う際に境界を示すために用いられる、と仮定される木。周囲の木とは種類や生え方が違うもの。また木の他に石が使われることもある。
「境木」の発見にいたるまで〜地図(地籍図)を見て、道沿いの旧宿場町は均等な地割がなされているのに、山道があまりにジグザグなことに驚いたのを覚えています。しかし、恣意的に決めたと考えるには余りにも理性的な線を描いています。つまり、主観的とも客観的ともつかぬ微妙で繊細な道であったと思います。いわゆる「美」というものかもしれません。翌日その不思議さを確認するために役所にいって大きな地籍図を見せていただいたのですが、そこで山の分割線がこれまた美しい線を描いている。どのようなロジックで分割線が描かれているのか、疑問に思い、そこで総領町町づくり推進課の山根さん、矢吹さんに伺ったところ、境木がこの境界線の決定に深く関与している、と教えていただきました。('99年度サマーキャンプ中谷ゼミ助手・豊川斎赫)

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.  佐野利器 SANO, Toshikata
  1880(明治13)年生まれ。1906年東京帝国大学を卒業。当時の軍事技術の先端をいく造船を志していた佐野は、建築に転じた後も工学技術としての建築にのみ関心を持った。『建築家の覚悟』(1911)では、様式の選択習熟より社会経済的基盤を理解し、国家のために技術を用いることを説き、日本の「建物処理者」は「如何にして最も強固に最も便宜ある建物を最も廉価に作り得べきか」が主任務であると断じた。また、地震の多い日本で耐震構造にとり組み、構造学を世界のトップの水準に押し上げた。彼の業績は、構造派優位の展開に影響している。(玉井)

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.  ドリームキャストの「シーマン」 
  ドリームキャストは、1998年株式会社セガ・エンタープライゼズ発売したゲーム機。Microsoft (R) Windows (R) CE ベースのOS 採用、ネットワーク機能の標準装備など、これまでの家庭用TVゲーム機とは違う面を持っている。(http://www.sega.co.jp/dreamcast/dreamcast.html)シーマンはこのゲーム機のソフトで1999年発売された。シーマンという生物を毎日10 分から15 分づつ世話をしながら育成していくゲーム。(玉井)
参考:シーマンを開発している会社の公式サイト ⇒ http://www.vivarium.co.jp/

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.  妹島和世 SEJIMA, Kazuyo
  1956年茨城県生まれ。1985年日本女子大学大学院修了後、伊東豊雄建築設計事務所勤務。1987年妹島和世建築設計事務所設立。主な作品にはPLATFORM I II、III(八ケ岳、東京)カステルバジャック・スポーツ・ショップ(横浜)再春館製薬女子寮(熊本)アパートメントのプロトタイプ I(吹田)パチンコパーラーI、II(日立、茨城県那珂郡)森の別荘(茅野)Y-HOUSE(勝浦)調布駅北口交番(調布)横浜国際客船ターミナル国際設計コンペ入賞。(玉井)

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.  セセッション Sezession
  1897年4 月、ウィーンの美術界を支配していたウィーン美術家連盟の保守性を不満に感じた芸術家たちはここを脱退し、新たに「オーストリア美術家連盟─分離派」を結成した。そのメンバーは画家のグスタフ・クリムト、コロマン・モーザー建築家のヨーゼフ・マリア・オルブリヒらであり、のちにヨーゼフ・ホフマンやオットー・ヴァグナーがこれに続いた。初代会長にはクリムトが選ばれ、1898年11月にはオルブリヒの設計による「分離派館」が完成し、分離派はここを展覧会活動の拠点とした。分離派は同時代の外国の芸術を展覧会において紹介することを通じ、ウィーンの美術界を国際的なものにしようと努めた。
参考:「The 20th Century Matrix」 [ウィーン分離派]

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.  寝殿造り 
  貴族住宅。公家住宅建築様式。板敷き、束式の屋根構造。母屋(もや)の四周に庇を設け、蔀戸(しとみど)を下げる。寝殿とは、主屋(正殿)を指す。副屋は対屋(たいのや)と称する。寝殿造の宅地は、方一町がその基準の大きさで、南面して正殿である寝殿があり、その東・西・北に対屋があり、寝殿前面には庭に池を穿ち、中島を設け、橋を架ける。東西対屋より前方池に向かって長く廊を出し、池に臨んで釣殿を建てる。その廊の中ほどに門を設け、中門という。
寝殿は母屋三―五間、四面に庇を付すのを常法とし、檜皮葺板敷で、庇の外には簀子縁(すのこえん)を巡らし、高欄(こうらん)を設け、南面には階がある。東西に妻戸(つまど)を設けるほかは格子(蔀)を吊り、内に簾(すだれ)を懸け几帳(きちょう)を立てる。寝殿内部は納戸に使用する塗籠(ぬりごめ)という小室のほか、固定的な間仕切は少なく、衝立(ついたて)・屏風・几帳などを用い、置畳・円座を敷いて座とした。このような室内の設備を舗設(しつらい)という。
東西の対もその舗設(しつらい)は寝殿と同様であるが、寝殿が棟を東西に設け、東西に長い平面であるのに反し、東西対は棟を南北に通し切妻造とした南北に長い建物で、母屋の四周に庇をめぐらし、前面一間通りを吹放しとし、そこは床も一段下げ、柱は角柱を用い、妻から葺き下しの庇をつける。ここを広庇(ひろびさし)と呼び、また唐庇(からひさし)ともいわれていた。その後、左右対称の配置は破られる方向に進んでいく。(玉井)
参考:太田博太郎著、『日本建築史序説』(増補新版)、彰国社、1969年、p94-101

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.  資材性 
  文化人類学者のレヴィ=ストロースがブリコラージュ(bricolage)に関連して用いた言葉。ブリコラージュとは「未開人」がありあわせの道具材料を用いて自分の手でモノをつくること。資材性とは、事物をそれまでの価値体系に属する遺物として捉えるのではなく、ありあわせの事物を組み合わせる、つまり、ブリコラージュするときの「つなぎ」として見出される新たな価値のことである。
参考:レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳『野生の思考』、みすず書房、1976;1991年、「具体の科学」、p.23
中谷礼仁「わが解体 ─住宅成立の条件─」『住宅建築 2月号 特集:小住宅』建築資料研究社、2000年2月、p.6-13/大阪市北区菅原町旧長屋群の解体実測(1999年9月に実施)についても同論文を参考。

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.  シチュエーショニスト・インターナショナル Situationist International
  シチュエーショニスト・インターナショナルは、「シチュエーショニズム(状況主義)」を活動の規範としたイタリア北部のグループで、「レトリスト(文字主義者)・インターナショナル」および「イマジニスト・バウハウスのための運動」の二つのアヴァンギャルド(前衛)グループが形式上ひとつとなり、1957年に結成された。第二次大戦中のレジスタンスの流れを汲む芸術運動「CoBrA 」(コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字、1948 - 1951)が源流にある。これらの運動は資本主義制度を批判し、生産体制を含めて状況を構築しようとした。シチュエーショニスト・インターナショナルの主導者ギー・ドゥボールの著書で日本語で読めるものとしては、ギー・ドゥボール著 木下誠訳『スペクタクルの社会』平凡社、1993年などがある。(玉井)

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.  ロバート・スミッソン SMITHSON, Robert
  ニュージャージー州ラザフォード生まれ(1938-1973)。60年代の終わり頃からミニマル・アートに影響を受け、またこの頃から「スラッグ」(鉱滓、からみ、溶鉱炉で鉱石を溶練するときに出る非金属性のカス)を被写体としてとりあげた。66年頃からドナルド・ジャッドらとニューヨーク郊外ニュージャージー州の石切場などをフィールド・ワークし、その結果をギャラリーに「非ー場所」として展示した。彼は、サイト(場所)とノンサイト(非-場所)とが対話する風景をつくる。また、好んで用いるのは「エントロピー」という概念で、人工物と自然物を対比させてその双方に恒常的な安定がないことを示した。主な作品には、三枚の鏡で開かれた立方体をつくり、コーナーに岩塩を置いた「コーナー・ピース」(1969)や、「スパイラル・ジェッティ(渦巻き型の突堤)」(1970)など。(玉井)
参考:野々村文宏著、「新・展示の技法」、季刊『武蔵野美術』104号、光琳社、1997年5 月、p.42-49

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.  異人 
  ある人間が自分の属する集団を離れて他の集団と接するとき、彼(彼女)はその集団にとって異人となる。異人とその集団の成員が接触する方法は二通りあり、遊行する宗教者や芸人、職人、商人、旅人などとして、短期間だけその社会にとどまり、すぐに立ち去っていくような場合、集団からは神の化身として扱われる。一方、神観念が衰退したときには、妖怪視しされ、排除された。いずれの場合も異人と共同体の人びとの間で「交換」が行われ、それを通じて社会の活性化なされた。(玉井)
参考:木田元 栗原彬 野家啓一 丸山圭三郎 編、『コンサイス20世紀思想事典』(第2版)、三省堂、p.134,135、[異人]

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.  数寄屋造り 
  「数寄屋」はあいまいな建築様式概念である。歴史的にはこれまでおよそ二つの傾向が指摘されてきた。一つは室町期から近世初頭にかけて確立された別棟の小規模な茶の湯空間、現在にいう茶室のことである。これは、偶発的な自然の風合いを大切にした素材、構成が特徴的である。もう一つは以上のような茶室建築の手法を採り入れた、桂離宮に代表されるいわゆる「数寄屋造り」と呼ばれる住宅スタイルのことである。しかしながら近年では、「数寄屋造り」の源流をめぐって異論が呈されたり、あるいは近現代の建築にも「数寄屋」が冠されたりと、そのとらえ方はさらに錯綜している。おそらく数寄屋が日本の伝統的建築でありながら他と一線を画している核心は、このあいまいな様式概念という性格に求められる。だから数寄屋の特徴というのは、その行為の質に依拠している。
その始まりからの特徴は、常に剰余の部分であったということである。数寄者達は社会システムに依存しながら、剰余の部分としての数寄屋を建築表現に加えることができたのである。たとえば慈照寺にある正方形平面を持つ東求堂(1486)は、室町幕府第八代将軍・足利義政の個人的な持仏堂ならびに茶の間として別棟で建てられたものである。この公の建築物に付属した個人的空間が、数寄屋の現存最古の例であり、その位置づけを明りょうに示している。
その後茶の湯文化の勃興とともに、この個人的空間は、極小化へ向かい、さらに田舎住まい風の体裁を身に付けるようになった。これは現在、「草庵風茶室」と言われる。その完成形ともいえる千利休の待庵における節だらけの木素材や荒々しいすさ壁といった特徴には、確かにこの言葉がぴったりあてはまる。しかしながらそれは単なる田舎屋ではなく、確固たる社会的形式を持った武家住宅の傍らに置かれ、市中に建てられることが常であった。「草庵風茶室」での侘びは常に社会的コンテクストとの拮抗、差異化によって獲得されたのである。草庵風の自然のままの素材を採り入れたことも、その素材の持つ偶発的な風合いに表現の余地をみたからこそであろう。つまり「草庵風茶室」は実は都市的建築なのであり、草庵の仮面をかぶった数寄者の屋なのである。数寄屋造りの特殊な性格は、この対比的な価値創出の方法から始まる。(中谷 礼仁)

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.  立原道造 TACHIHARA, Michizo
  東京生まれの詩人(1914 -1939)。立原道造は、詩集『萱草に寄す』や『暁と夕の詩』に収められたソネット(十四行詩)に音楽性を託し近代文学史に名を残す。また建築家でもあり、東京大学在学中、3年連続して「辰野金吾賞」を受賞し、卒業設計では「淺間山麓に位する藝術家コロニイの建築群」を構想した。(玉井)
参考:立原道造記念館 ⇒ http://www.orchid.co.jp/~tatihara/tatihara.htm

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.  バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」 
  絵本。バージニア・リー・バーストン絵・作、『ちいさいおうち』石井桃子訳、岩波書店、1954年。田園地帯にある「ちいさいおうち」の周辺の定点観測で、都市化が進む過程が描かれている。「けんちくやさん」が登場します。(玉井)

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.  都市史 
  建築の歴史を語るためには様々な方法がありますが、一つ一つの建築単体を余す所無く語るのではなく、それらを集合として捉え、そこからどういう価値が発生するのかについて研究することが都市史の目的といわれています。建築領域に於ける日本都市史は、通常平安京から始まるのが通例となっていますが、それ以前から人々は豪族単位で集住していたと考えられます。つまり、言い換えれば、794年の平安京以後の都市を形成するための諸要素(豪族の生活習慣など)はそれ以前に求めるのが妥当であり、灰塚の古墳・神社の集合などもその一例と考えられます。灰塚で特に注目するところは、古墳・神社が高密度の割合であることです。そのことから、複数の豪族が近接して住んでいたと推論せざるを得ません。きっとここは過去に境界線を巡って争いが絶えなかったと仮定できますし、また、鉄の産地としても知られている備後ということを考慮に入れると、技術の伝承を巡る争いもあったかもしれません。その痕跡として古代の古墳や神社が時を越えて引き継がれているのでしょう。また、中世の城館跡・たたら場跡、近世の宿場町・田畑の形成、近代の集合住宅地など、各々の時代の典型的な地割が集積している点において、灰塚という場所は、都市史の視点から極めて興味深い場所です。一見のどかな山岳地帯のようで、嘗ての厳しい社会状況・覇権構造の移りゆく様を古代から現代まで観照することができる稀有な場所だともいえそうです。('99年度サマーキャンプ中谷ゼミ助手・豊川斎赫)

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.  渡り職人 
  出職(でじょく)…自宅以外の場所、外で仕事をするもの
居職(いじょく)…自宅や工房で家内労働的に仕事をするもの
木造建築の分野の場合、前者は、鳶・土工(土木工事労働者)・大工・左官・屋根屋などを指し、後者は、建具屋・経師屋・畳屋など、自宅で大半の作業をし現場でそれをとりつけるもののことである。(玉井)
参考:小澤普照 安藤邦廣 工藤圭章 他著、『現代棟梁・田中文男』、INAX出版、1998年 、p.20

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.  ライト WRIGHT, Frank Lloyd
  ウィスコンシン州リッチランド・センターで生まれ(1867 -1959)、アリゾナ州スコッツデールで逝去。「住宅は芸術作品たることによって、より住まいらしくなる」といい、有名なカウフマン邸・落水荘(1936)、帝国ホテル(1923)以外にも、住宅建築も力を入れた建築家。(玉井)

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.  吉田五十八 YOSHIADA, Isoya
  東京都生まれ(1894 -1974)。1923年東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。昭和戦前に多くの建築家が西欧の近代建築を進める中で、独自に日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め、近代数寄屋を開拓した建築家。戦前に数寄屋建築の近代化をまとめ上げた後、寝殿造、伝統的寺院建築、民家建築、城門などの様式をもとに、それを近代的文脈へと接続した。それらの成果は1958年の上野の日本芸術院会館、1960年のローマの日本文化会館、1961年の五島美術館、1962年の大和文華館などに見られる。(玉井)

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.  雑草 
  【雑】ソウ(サフ)・ゾウ(ザフ)・ザツ
1. [まじ・る] イ.色がまじる。ロ.こみいる。ハ.みだれる。ニ.わずらわしい。ホ.純粋でない。ヘ.まだら。2. [まじわ・る(まじは・る)] [まじえ・る(まじ・ふ)] まぜる。3. [まぜ] まぜるもの。4. 集める。5. [みな] ともに。皆。6. もろもろ。いろいろ。こまかい。7. あらい。8. いやしい。9. めぐり。一まわり。
衣と集を合わせた字。衣はきもの、集には、あつめるという意味がある。
雑は、いろいろの色の布を集めて作ったきもののことである。
  【草】ソウ(サウ)
1. [くさ] 「草・木」。2. いやらしい。いなかじみた。「草・野」。3. あらい。そまつ。「草・衣」。4. はじめ。はじまる。「草・創」。5. 下書き。=「草稿」。6. 草書。くずした字体。書の一体。
草は、はんのき、ははそなどの実。後にクサカンムリのかわりに、くさをいうようになった。
参考:『新選漢和辞典 第五版』、小学館、1987年(玉井)

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