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「ネットワーク−意味組みかえの瞬間」 |
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雑草は分類における「雑」です。分類というのがベーシックな理性の働きで、世界を人間の側・理性がある一つの秩序にまとめていく営みです。ところが「雑」という分類項目があり、抑え込まれたなかにおける異質なものです。雑はある制度や秩序の中に抑え込まれているが、それをはねのかす力を何時発揮するかわからない危険な存在でもある。 |
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私たちが考えている「芸術」というのはいうまでもなく近代社会が見い出したものです。近代は、芸術という文化領域を他の諸々の活動や価値領域から切り離すことによって普遍的な問題に出会う場として成立せしめた。そしてこの領域は、そのまま未来永劫枠組みが変わらないというわけではなく、むしろいつも内部でくすぶりの種を宿し続けてきた。つまり、人生を貫く、あるいは時代を超えるそのような課題が見えてくる、これが近代の芸術の成立の当初の課題、意味であったと思います。けれどもそのようにして成立したはずの芸術が、実に皮肉な運命、皮肉なプロセスをその後次々と辿っていく。例えば、美術館の中で権威付けられた作品が、むしろ芸術が本来課題としているものから大きく逸脱していく。普遍的な芸術というのも極めてローカルなあるいはナショナルな性格を帯びながら成立し機能していった。それらの最も極まった悲劇的な局面が提示されたのが、1930年代40年代、ファシズムあるいは全体主義の時期であった。にもかかわらず、近代の芸術とはそれらの課題とは無関係なようないい方で自己了解をしがちである。この問題を凝縮的に示すのはバウハウス神話の中から追い払われた二代目校長ハンネス・マイヤーの役割で、彼はバウハウスを産業と最も密接に結び付けるという課題を利潤追求に対する緊張を意識しながら豊かに展開し始めていた人です。それは彼にとって民衆とデザイン・建築を結ぶ可能性の展開をいみしていました。このハンネス・マイヤーは、ナチズムとスターリニズムとそしてアメリカとによって疎んじられていきました。しかし、彼の位置を回復しながら、バウハウスの総体を考えることは、近代の再検討のために不可欠の視点を提供すると思われる。 |
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わたしたちは芸術を近代の枠組みの中で考え続けることによって、芸術作品を<作る者と作品>というサイドで考えることに慣れてきました。ところが実際には芸術は、それを享受する人間を交えて始めて芸術として成り立つわけです。そもそも「何がいったい芸術であるか」という価値の標準の設定の仕方も享受者を含めた社会全体の中で作り出されてくる。ところが、実際には芸術的標準というのは、制作者と作品とそれから一部のエリートである公衆の間で成り立ってきた。それからはみ出させられた広範な公衆は、芸術とどう係わりうるのか。この広範な公衆を組みこんだ関係性の中で芸術を問う新たな動向が多様に生まれている。 |
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今、灰塚を含め日本・イギリスで展開されているのは、一般の人々をも巻き込みながらアートの新たな可能性を探る試みが抱えている課題は近代が持っていた芸術の基本的な枠組みを、広範な公衆をも組み入れながらどのように作り替えていくことができるかということである。今まで芸術の可能性というのは、アーティストと作品の問題として語られてきたが、これからはその外に「雑」として、いわば括られていた中に込められた芸術的な可能性がどのように芽生えていくのかという問題として考えられるのではないか。土の中に宿された数多くの種が、土の中でいわば雑同士の繋がりのようにネットを組んでいく。しかしそれは、決して与えたれた現実の標準で世の中や芸術を見るというわけではなくて、芸術そのものの成立生成の可能性を秘めながら土のなかに網状組織が張っていくというイメージを持つことができないだろうか。 |
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(1999年8月7日 三良坂町農業活性化センターでの講演会より) |