『雑草』講演会
1999年8月7日(土)午後3時〜 
三良坂町農業活性化センター 
芹沢 高志(アート・環境プロデューサー)
■□ 「計画・雑草・サイバネティックス」
雑草というテーマに即していうと、一つのものに名前をつけることは生き方や文化のあり方と密着している。自分にとって役にたつとか、食べられる、栽培できるといった関心の対象となるものは、詳細に分類され命名されるが、それ以外の雑なるもの、今のところ役にたたないと思われているもの、名前をつけるほどの価値もないもの、そんなもののシンボルとして「雑草」という一群があるのだと思う。プランナー(計画者)にとっては、自分が作り上げようとしている「完璧な」世界に対して不作法にも侵入してくる、予期しない、やっかいな力の象徴が「雑草」といえる。しかし、本当に「雑草」を根こそぎにすれば、世界はよくなるのか。プランナーだけでなく、現代のの科学技術は雑草を引っこ抜く、それも面倒だから生えないようにしてしまう、という姿勢にある。極端な話、遺伝子を組み替えることで、雑草に強い、害虫に強い植物種・農作物まで生み出して、実際に環境の中で栽培している。世界・生態系を支えている多様性に対して、われわれが作り出す世界は、なんて一様なんだろう。しかも、こんなやり方をゴリ押しする影響を、われわれは本当のところ、予測もできないのだ。人間は膨大なエネルギーを自由にできるようになって、いってみれば微妙に舵をとって船をあやつるというよりは、川の流れを力づくで変えるというやり方を取り出している。舵をとるには才能や努力がいるが、雑草を許さず、金と物質とエネルギーで世界を一様化していくやり方は野蛮だし、必ず破たんするだろう。
第二次大戦が終わった頃、サイバネティックスという横断的な科学が生まれた。今だと、サイバーといえばコンピュータがらみの話と思われるが、もともとの発想は、世界を大きな川の流れと考え、いかにして舵をとり、この世界をうまく航行していくか、そのための科学だったといえる。サイバネティックスの語源になったギリシャ語のkybernetes は〈舵取り〉ということ。つまり世界は人間にとっては変えることもできず、予期せぬことばかり起こる大きな流れだが、それでも今の状況を絶えず舵に伝えることで、自分の姿勢を軌道修正し続けて、ことに対処していこうという考えだ。これは土地に働きかけるアートでも、参考になる考えだと思う。計画することと実行することと批評すること。自分の姿勢をいつも見つめ、環境の声を聞いているか、常に確認しながら自分の姿勢を修正していく。灰塚ではすでに実践が始まっているように思えるが、批評性を組み込んで、計画を修正していく現実的なモデルが、今、必要になっているのだと思う。
(1999年8月7日 三良坂町農業活性化センターでの講演会より)


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