@ WHO'S WHO in Haizuka: [D] to [G]
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* 伊達 浩史(三良坂町役場企画課) DATE, Hiroshi
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略歴
1962  広島県双三郡吉舎町生まれ.
1991 三良坂町役場に勤務
以来所属する課名が変わることはあってもダムとの関わりは途切れることなく続いている現在、長期総合計画、都市計画、ダム周辺整備計画を担当、アースワークでは副事務室長を担当。
本人談
灰塚アースワークプロジェクトは最初から三良坂町担当職員として関わってます。絶え ず頭の中がシャッフルされて心地よく、意見が違っても人は一緒にやっていけるんだなあ と関心します。
@ 三良坂町情報ページ
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/mirasaka/

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* エンガワ engawa
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経歴
1999  小野 弘人・鈴木 満雄・木原 進により結成
各メンバー経歴
□ 小野 弘人
1965  東京生まれ
1989 文化学院建築科卒業
1994 入江経一+パワーユニットスタジオ勤務
1998 青木淳建築計画事務所勤務
1999 B ゼミスクーリングシステム修了
1999 灰塚アースワークプロジェクト
「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム1999」参加
□ 鈴木 満雄
1968  千葉生まれ
1992 Bゼミスクーリングシステム修了
国民投票参加
□ 木原 進
1975  東京生まれ
1998 多摩美術大学芸術学科卒業
主な活動
1999年より灰塚を中心に活動。
美術/建築/家具/展覧会制作など諸芸術の分野において、コンセプト・デザイン・設計から制作・施工までを一貫して担い、新しい生産システムをつくり出すことを目指している。

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* アレン・フィンケル FINKEL, Alan
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略歴
1943  ニューヨーク・アメリカ生まれ
*** クインズカレッジ卒業後、社会学研究などを学ぶ
主な活動
1995  熊本アートポリス 泉村 コンサルタント(九州・日本)
1997 情報文化プラザ (神戸・日本)
現在、 河川プロジェクト コラボレーション
(ニューヨーク・アメリカ)
納屋のプロジェクト コラボレーション及びコンサルタント
(ニューヨーク・アメリカ)
進行中
関連記事
"A Geography of Home: Alan Finkel's Public Art"
 SCULPTURE MAGAZINE Vol.17-1998 年 3月

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* ナンシー・フィンレイ FINLEY, Nancy
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学歴・経歴
1958 カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ
1984 カリフォルニア大学バークレイ校環境デザイン学部卒業
1989 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士修了
1993 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士修了
1978- 81 CRP環境修復教育事業団
1984- 85 旧CHNMBアソシエイツ
1985- 86 オフィス・オブ・ピーター・ウォーカー
&マーサ・シュワルツ
1990- 有限会社ファクター エヌ アソシエイツ設立主宰
1991 関東学院大学非常勤講師
1994 国立音楽大学非常勤講師、武蔵野美術大学非常勤講師
1996- 東京芸術大学、長崎総合科学大学、長岡造形大学非常勤講師
1999 日本女子大学非常勤講師
受賞
1990  日仏文化会館設計競技 佳作入選
1995 世田谷住宅賞最優秀賞(用賀の家)
1996 麻布大学キャンパスマスタープラン指名提案設計競技2等
1998 JIA新人賞、日本建築学会作品選奨、BCS賞、通産省グッドデザイン賞、千葉県建築文化賞(和洋女子大学佐倉セミナーハウス)
展覧会
1993  リ・エンジニアリング東京展「東京の空地−空即是色」
 アクシスギャラリー(東京)
1996 トポスの復権展「Dance of Innocence」
 ヒルサイドギャラリー(東京)
1997 同上−富山県富山市民プラザ(富山)
1998 作家紹介シリーズ「福山の美術'98」ふくやま美術館(福山)
1999 JIA新人賞展−銀座ポケットパーク(東京)
1999 コンサート「世紀を超えて 20世紀の空間」演出
ステージセット、コスチューム・デザイン−神楽坂セッションハウス(東京)
著作
『TOWARDS LANDSCAPE−ランドスケープへ』
 建築デザイン会議実行委員会・編 −デルファイ研究所 1992 年
『水「こおろぎの音を聞き、流れ星の尾を見れば」』
 第三セクター四万人ドラマ 1997 年

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* 藤 浩志  FUJI, Hiroshi
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プロフィール
1960  鹿児島県生まれ。高校で日本画を描き始める。でも本当は歌を歌うのが得意だった。
1979 京都市立芸術大学工芸科入学染織専攻 江戸小紋等に興味を持つが、演劇活動にはまる。
1983 同大学大学院入学 京都三条鴨川に鯉のぼり作品を展示し京都府土木局に怒られる。
パフォーマンスユニット「京都情報社」設立 関西の街角を中心にパフォーマンス活動。
表現活動としてのお茶会「軽茶倶楽部」を主宰。様々な空間でお茶を点てる。
1985 等身大のハニワを京都市立芸術大学の池にラブソングを歌いながら沈めて大学院修了。
この頃やたらと空間を使った作品を発表する。代表作:「ゴジラとはにわの結婚問題」
「ガマ君とカエル君の紙芝居」「松の木の憂鬱」「喜怒哀楽のシャチの頭像」「カメはにわ」等
1986 自分の美術活動に疑問を抱きパプアニューギニアへ青年海外協力隊員として日本を脱出。
パプアニューギニア国立芸術大学講師として働きながらプリミティブの神髄と格闘する。
この頃「野豚を追うヤセ犬」と運命の出会い。自分の美意識に対する確信をつかむ。
1987 「地域、適正技術、協力」のキーワードを意識しはじめ、帰国後の方向性を決心する。
1988 素材研究のため東京の土地開発業者(地上げ屋)に就職。取り壊す前の家を転々とする。
1989 バブル崩壊の為、都市計画コンサルタントに転職。かなりストレスを貯蓄する。
鹿児島の実家を改造して空間としての作品「Eスペイス」を制作。カフェとして運営を始める。
勤務していた会社に対するメッセージ「世界食糧銀行構想」を美術表現として試みる。
1991 国際協力の問題で会社との方向性のズレでストレスが満杯となり退職。
退職金で給料1ヶ月分のお米を購入、元勤務していた会社に対する意見を作品化。
「お米の砂漠」「犬のおしっこ」「テラピア缶詰のピラミッド」「48本のメタセコイヤ」等。
1992 虫が湧きつつある1トンのお米の処分に困り果て、2048匹のおにぎりのカエルを制作。
人口増加の問題を素材とした「2025蛙の池シンポジウム」(2nd.JASグランプリ受賞)を発表。
様々な専門家にインタビューする中で、廃棄物の増加の問題を意識し始める。
1993 地域の問題をリサーチする目的で鹿児島に移住。いきなり水害に遭遇し治水に興味を持つ。
藤浩志企画制作室設立。治水問題についての市民運動と自分の表現活動の狭間で悩む。
「ドラゴン屋台」「ふりカエルBAR」等の期間限定のカフェをアートワークとして始める。
1994 2048匹の腐りかけたお米のカエルとともに「カエルのキャンペーン」を各地で展開。
福岡で開催された第4回アジア美術展に出品参加。アジアの作家と福岡に興味を持ち始める。
1995 お米のカエルを樹脂の塊の墓石とし終止符を打ち、「お米のカエル物語」を出版。
このころ地域研究の目的で入団した鹿児島混声合唱団がかなりレベルアップ。かなりはまる。
1996 取り壊された家の柱で1987年より彫り続けていたやせ犬が目標の101匹となり完成。
福岡の天神地区で101匹のヤセ犬を400個のカップ麺のプラスチックカップ等と共に展示。
取り壊された石橋についての地味な絵本「たけのはし」を出版。(地方出版文化賞受賞)
1997 福岡の海辺の農家に家族で移住。妻と子供の協力を得て「家庭内ゴミゼロミッション」開始。
福岡の山際の養鶏場跡に作業場を確保しStudio Farmを設立するが、モノを作る興味を失う。
表現活動は地域に苗を植える活動に近いのではないかと想定し、Plant Demonstrationを組織。
毎月2回参加自由の空間と表現についてのミーティングテーブル「PLANT」を始める。
1998 30年後にアートセンターとして変換可能な複合ビル「e-terrace」を鹿児島に竣工させる。
単純労働がしたくなり動物彫刻家「楠 丈」を独立させるが、作風から正体ばればれ。
Plant Demonstrationとして福岡の小学校跡地で活動を展開「公庭は素晴らしい」を制作。
1999 2年半の家庭から排出された「Vinyl Plastics Collection」を発表。生涯続ける決心をする。
夢をえさに現実をリサーチする「バクの夢」を起動。OSとしての表現活動を目指す。
最近ようやく本気で表現活動を展開する基礎体力と基礎認識が身に付いたと感じる。

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* 藤森 照信 FUJIMORI, Terunobu
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略歴
1946  長野県生まれ
1971 東北大学建築学科卒業
1978 東京大学大学院建築博士課程修了
1980 「明治期における都市計画の歴史的研究」で日本都市計画学会賞、市政調査会藤田賞受賞
1983 「明治の東京計画」で毎日出版文化賞受賞
1985 東京大学生産技術研究所助教授に就任
1986 「建築探偵の冒険−東京篇」で日本文化デザイン賞、サントリー学芸賞受賞
1997 「ニラハウス」で日本芸術大賞受賞
現在、 東京大学生産技術研究所教授
主な著書
『家をつくることは快楽である 』 王国社 1998年
『完本・建築探偵日記 - 東京おんりい・いえすたでい』 王国社 1999年
『看板建築』 三省堂 1999年
『タンポポ・ハウスのできるまで』 朝日新聞社 1999年
『タンポポの綿毛』 朝日新聞社 2000年

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* 福井 裕司 FUKUI, Yuji
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経歴
1967  宮城県仙台市うまれ
1991 東京芸術大学美術学部建築科卒業
1993 AAスクール(英国)ディプロマ取得
1994 ロンドン大学バートレット校 大学院修了
1996 帰国
1997 東京芸術大学美術学部建築科 助手
2000 同 非常勤講師
主な活動
1996-  灰塚アースワークプロジェクトに参加。
1996 アレン・フィンケル氏の野外彫刻、通訳/制作アシスタント
1996- アースワークスクール
1997- 吉舎町、知羽大橋高欄プロジェクト
1999 小さな美術館:回転窓
2000 アーティスト・イン・レジデンス/作品ホームステイ
 **** 以上、灰塚アースワークプロジェクト関連
1997 「IF 2000」空間設計/制作 恵比須ガーデンプレイス
(東京)
1999 「soft machine bar」 空間設計/制作(福岡)
1999 「small house/big workshop」 空間設計/制作(東京)
2000 「circle'n'circle」 感覚ミュージアム(宮城)
2000 「さまざまな眼 112《ジュリオ・ロマーノもまた、才能がある。》」 かわさきIBM市民文化ギャラリー


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