企画概要+グッズ+クレジット 作品ホームステイ+バザール 公開座談会 ビル・アーノルド写真展 ひまわり舞台イベント
アート・ステュディウム2001 in 灰塚
■□ ビルのこと(テキスト:布施知範)
 ビル・アーノルドは、2000年度のレジデンスアーティストとして、約1カ月間にわたり、当プロジェクトにて滞在制作活動を行ないました。ビル・アーノルドを招聘するにあたり、私達が最も心配したのは、私達の施設には、暗室をはじめとした写真を制作する環境が全くないということでした。事前の調整段階でそれを伝えたところ、ビル・アーノルドは、カメラオブスキューラの制作を中心とした、いくつかのプランとともに、自分の自転車を持っていきたいという希望を伝えて来ました。私達はこの申し出に少々とまどいましたが、私はそれが、彼の制作にとってとても重要であるような気がしました。そして、彼はこのレジデンスで、きっとここの風景を撮影してくれるにちがいないと思いました。風景の美しさは、私達がここを訪れてくれるアーティストに提供できる、数少ない、しかし自信のある要素でした。ただ私は、暗室が準備できないことがますます心配になり、彼が暗室がないことを了承したあとでも、ひそかに、躍起になって近郊の町に暗室がないか調べることをやめられませんでした。
 ビル・アーノルドは、旅慣れた様子をうかがわせる、意外なほど身軽ないでたちでやってきました。キャリア付きで片手で引けるスーツケースと、彼の旧作を入れたアタッシュケース、驚くほどコンパクトにまとめられた撮影機材。写真家の装備として必ずあるはずの大きな三脚はありませんでした。そのかわりに運ばれてきたのは、彼の荷物の総量をそれだけで2倍以上にしてしまう、巨大な自転車。しかし日がたつにつれて、私達は、このアーティストの40年のキャリア、その豊かな経験を実感することとなりました。彼の装備は万全でした。彼は、私達が事前に提供した断片的な現地情報からこちらの様子を想像し、あらゆる可能性に対処できるよう、複数の次善策を用意していました。
 ビル・アーノルドはフレキシブルでした。事前に立てていた計画に固執することはなく、状況を即座に判断し、次々に新しいアイデアを出してきました。カメラオブスキューラの計画は忘れてしまっているかのようでした(実際は最後に試していたので優先順位を下げていただけでしたが)。私が見つけた高校の暗室を使うアイデアは、十分に労をねぎらってくれたあと、丁寧に断られました。それは正しい判断でした。もし彼がこちらで現像しようとしていたら、彼は不自由な使いなれない暗室で、その貴重な滞在日数を何日も無駄にしていたかも知れません。そのかわり、彼は装備に付け加えていた不思議な印画紙を使って、とても美しい作品を作り始めました。それは、暗室がない旅先でネガをダイレクトプリントするための、日光で感光する特殊な印画紙でした。彼はその印画紙の上に、花や落ち葉、ハサミやコップなど様々な身の回りのものを置き、その影を、やわらかい冬の光によってつぎつぎと焼きつけていきました。作品を作るために使う道具が作品そのものに変化する、驚くべき出来事でした。
 彼は、期間最後のオープンスタジオでそれらの日光写真による作品と、持ってきた旧作によるみごとな展示を行ないました。彼がアタッシュケースいっぱいの旧作のオリジナルプリントを持ってきたわけがここで分かりました。彼にはこちらで撮影したものを現像できなくても、展示を成功させる自信があったのです。
 ビル・アーノルドは、日光写真に熱中しながらも、ほとんど毎日自転車を駆って屋外の撮影にでかけました。自動車で生活している私達を驚かせるようなところまで、彼は自転車で出かけていました(ツール・ド・フランスの選手のような格好の外国人が、約30キロ離れたところで目撃されていました)。私は彼の旧作を見て、彼の目から見た私達の住む場所の風景が、どうしても見たくなりました。彼にその旨を伝えると、彼は今回撮ったものを送ってくれることを約束してくれました。私達は、これはぜひとも展覧会を開くべきだと考えました。マサチューセッツ州の自分のスタジオにもどった彼にそのことを伝えると、彼はその提案に喜んで応じてくれました。会場は、彼が今回の滞在で気にいった場所のひとつである、「デコ」がいいということになりました。ほどなく彼は、あらゆる意味で完璧な作品を送ってきました。展示作業の際、私は展示に関して悩む必要がほとんどありませんでした。なぜなら、送られてきた作品は、大きさ、枚数、使われていたシンプルなフレームなど、すべてが展示場所である「デコ」にふさわしいものだったからです。作品の梱包を紐解くよりも前に、おおかたの展示が彼の手によってなされているような状態でした。私はその意図を汲むことだけを考えればよかったのでした。
 「デコ」に飾られた作品は、私達の期待以上の美しさでした。ビル・アーノルドは、私達のみなれた風景の連続から、私達が気づかない最も美しい部分を発見し、持ち帰っていました。彼は、私達が提供できなかったものは自分で生み出し、また、提供できたものは最大限活用して、すばらしい作品と、それ以上の何かを私達に残していってくれました。



ビルのこと

デコとは?

アーティスト・イン・レジデンス2000
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